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<description>考える楽しみ・読む楽しみ
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 <title>PANSE</title>
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<title>森鴎外と乃木大将</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52082062.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(19)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜森鴎外と乃木大将＞
乃木大将と鴎外は同じ明治十九年のころから
ドイツに留学している。鴎外の長男於菟氏の回想
によれば、

「最初、父は真の武人としての将軍を尊敬し、...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-26T20:53:31+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(19)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜森鴎外と乃木大将＞<br>
乃木大将と鴎外は同じ明治十九年のころから<br>
ドイツに留学している。鴎外の長男於菟氏の回想<br>
によれば、<br>
<br>
「最初、父は真の武人としての将軍を尊敬し、将軍<br>
は父の外国語の力が他を絶しているのを認めた。<br>
交際のこまやかなるに従って、父は将軍の単に誠忠<br>
なる武人であるのみでなく、詩をよくし、またその<br>
思慮周密、着想遠大なるに服した。将軍は父の博識<br>
と深遠なる思想に一片耿々たる皇室尊崇の念とが確乎<br>
として存在することを知って深く信頼した」<br>
<br>
鴎外の見た乃木将軍像は谷本博士のそれとは雲泥の<br>
差がある。小器は大器を正しく写すことはできない。<br>
<br>
＜「食堂」森鴎外＞<br>
大逆事件において露呈された「危険思想」、日本の<br>
伝統の中核をなしていると思われていた天皇絶対の<br>
「国体」の否定という思想と行動に対する鴎外の<br>
反応。<br>
<br>
＜「かのように」森鴎外＞<br>
中心テーマは、歴史学会における神話と科学の調和<br>
の問題といってよい。主人公の歴史学者は、神話と<br>
学問のあいだにはさまれてノイローゼにおちいる。<br>
そういう状態のとき、たまたまファイヒンゲルの<br>
「かのようにの哲学」を読んだ。]]>
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</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52081154.html">
<title>南方熊楠と乃木大将</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52081154.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(18)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜南方熊楠と乃木大将＞
乃木大将殉死批判で京都帝大の職を追われた
谷本富教授は言う。

「乃木さんはあまり虫のすかない人である。露骨に
言えば、甚だ嫌いな人である。
...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-25T20:22:01+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(18)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜南方熊楠と乃木大将＞<br>
乃木大将殉死批判で京都帝大の職を追われた<br>
谷本富教授は言う。<br>
<br>
「乃木さんはあまり虫のすかない人である。露骨に<br>
言えば、甚だ嫌いな人である。<br>
・・・<br>
世間は至誠のみでは渡れぬ。至誠のほかに卓越した<br>
才学技術が必要である。乃木大将は余の所見を以て<br>
すれば、はばかりながら才学技術のすぐれた人とは<br>
言えない。<br>
・・・<br>
大将はいわゆる孤相である、平たく言えば下賤の相<br>
に近いもので、とうてい大将という如き高職に上る<br>
べき富貴も天分もない。」<br>
<br>
南方熊楠博士は「日本及日本人」に「自殺につき」<br>
という博学な長論文を発表し、その中で、<br>
「予の知人は、みな谷本の名をきくのもいやな<br>
気持すと語る。・・・死せる乃木大将をけなして<br>
生きたる東郷大将を揚ぐるなど、吾輩庸人にはでき<br>
ぬ芸当なり」と谷本教授をこきおろした。<br>
]]>
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<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52079695.html">
<title>「かのように」は山県侯爵からの依頼で書かれた</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52079695.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(17)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜森鴎外「興津弥五右衛門の遺書」＞
乃木大将殉死の日、一夜にして書き上げたと言われる
「興津弥五右衛門の遺書」について、唐木順三氏によ
る解説によると、

「鴎外の「...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-24T20:51:43+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(17)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜森鴎外「興津弥五右衛門の遺書」＞<br>
乃木大将殉死の日、一夜にして書き上げたと言われる<br>
「興津弥五右衛門の遺書」について、唐木順三氏によ<br>
る解説によると、<br>
<br>
「鴎外の「遺書」（興津弥五右衛門の遺書）の文体が、<br>
乃木大将自身の遺書の文体に共通していることも注意<br>
してよい。・・・鴎外は乃木殉死に刺激され、その<br>
遺書の示している絶対の忠誠心に感銘し、その文体を<br>
も共通なものにして、かって「翁草」の中で注意して<br>
いた興津弥五右衛門の殉死を資料として綴ったもので<br>
あろう。」<br>
<br>
「興津弥五右衛門の遺書」の初稿は定本において<br>
全面的に書き改められている。それほど、初稿は<br>
興奮状態で書かれていた。その興奮状態とは何か<br>
について唐木順三氏は次のように言う。<br>
<br>
「鴎外は同じ「中央公論」の一月号に「かのように」<br>
という題の作品を発表しているが、これと十月号に<br>
のった「遺書」とはまさに正反対の思想内容を持って<br>
いる。小説「かのように」における御都合主義的、<br>
功利主義的、実用主義を否定し自己批判したのが<br>
「遺書」である。<br>
・・・<br>
鴎外は、明治天皇に対して絶対の忠誠を一徹に貫いた<br>
乃木大将の殉死をみずからへの頂門の一針と感じとった。<br>
その針の痛烈な痛みが鴎外の「遺書」をして激烈なら<br>
しめたのだと私（唐木）は思う」<br>
<br>
＜「かのように」は山県侯爵からの依頼で書かれた＞<br>
「鴎外は大逆事件に当面して心配した山県侯爵から<br>
危険思想対策を求められ、それに応じて書いたのが、<br>
この「かのように」であったという。<br>
・・・<br>
乃木大将殉死は鴎外の妥協と折衷主義を一撃のもとに<br>
粉砕した。それほどの衝撃力をもっていたのである。」]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52077533.html">
<title>乃木大将　殉死</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52077533.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(16)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜乃木大将　殉死63歳（1849-1912）＞
--出でましてかえります日のなしと聞く
きょうの御幸に逢うぞ悲しき(乃木静子夫人辞世)--

1912年当時
新渡戸稲造　50歳
森鴎外　　　...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-23T18:45:47+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(16)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜乃木大将　殉死63歳（1849-1912）＞<br>
--出でましてかえります日のなしと聞く<br>
きょうの御幸に逢うぞ悲しき(乃木静子夫人辞世)--<br>
<br>
1912年当時<br>
新渡戸稲造　50歳<br>
森鴎外　　　50歳<br>
夏目漱石　　45歳<br>
幸田露伴　　45歳<br>
志賀直哉　　29歳<br>
武者小路実篤　27歳<br>
芥川龍之介　20歳<br>
小林秀雄　　10歳<br>
<br>
・夏目漱石と森鴎外は前回ブログ参照の事。<br>
<br>
「立派な武士的最後」<br>
（キリスト教徒の新渡戸稲造）<br>
<br>
「乃木将軍はそれ神なるか。神か神か。神なり」<br>
（幸田露伴）<br>
<br>
「乃木さんが自殺したと聞いたとき、馬鹿な奴<br>
だという気が、ちょうど下女かなにかが無考えに<br>
何かしたとき感じる心持と同じ感じ方で感じられた」<br>
（志賀直哉）<br>
<br>
武者小路実篤はゴッホの自殺と乃木の殉死を比較して<br>
ゴッホの自殺のほうが人類的なところがある、と書いた。<br>
<br>
芥川の書いた「将軍」はさっぱり面白くなかったが、<br>
ウオッシュバーンの「将軍乃木」には感心した、と<br>
小林秀雄は書いている。<br>
<br>
注）「将軍」：芥川の乃木大将をちゃかした作品。<br>
<br>
乃木大将の殉死は「白樺派、芥川からの世代には、<br>
ただちに理解し得るものではなかった。」<br>
小林秀雄も学生時代には芥川の「将軍」を面白いと<br>
思ったものの後年には、つまらないと書いた。<br>
<br>
補記：芥川「将軍」に関して、<br>
-----------------------------------------------------<br>
＜「帰郷者」(萩原朔太郎)＞<br>
当時私は、芥川君の作品を愛読して居た。<br>
「朱儒の言葉」・・・その読後感は、いつも自分の期待<br>
を裏切り、甚だ物足らないものが多かった。単に物足ら<br>
ないというだけでなく、何かしら自分の反感をそそり、<br>
或る漠然たる怒りを感じさせるものがあった。何故にその<br>
断片語録（アフォリズム）が、自分の感情を激し、義憤に<br>
似た反感を感じさせたのだろうか。<br>
・・・<br>
長い間、この疑問が漠然と心の隅に残って居た。<br>
・・・<br>
最近、偶然また芥川全集を通読して、古い疑問への解決を<br>
発見した。自分が改めて読んだものは、乃木大将のことを<br>
書いた「将軍」、細川ガラシャ夫人のことを書いた「糸女<br>
覚え書」、それから「或る日の大石内蔵助」等々であった。<br>
何れも皆、一気に読み終ったほど面白かった。しかもその<br>
読後に残った感想は、何かの或る漠然たる、物足らなさの<br>
不満であった。しかもその不満の底には、前にアフォリズム<br>
を読んで感じたような、同じ種類の道徳的反感が実在して居た。<br>
そこで初めて、自分は一つの原理に到達し得た。つまりこの<br>
作者の場合では、対象への「同情」（シムパシイ）が欠けて<br>
いるのである。<br>
・・・<br>
そこには、乃木大将の戯画だけが描かれていて、その一将軍<br>
の生きている人間が書かれていない。<br>
・・・<br>
芥川龍之介の小説やアフォリズムに対して、自分の漠然と感<br>
じた不満は、実にこの文学的モラリチイの欠乏から来る不満<br>
であった。乃木大将に対しても、ガラシャ夫人に対しても、<br>
作者は何の共感も感じて居ないのである。<br>
・・・<br>
自分がそれに対して、漠然たる道徳的反感（良心の怒り）を<br>
感じたのは、つまり自分の中のストイックな芸術家が、許し<br>
がたい魂の冒涜を、それの中に見たからであった。<br>
------------------------------------------------------<br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52075692.html">
<title>興津弥五右衛門の遺書</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52075692.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(15)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜明治人、鴎外と漱石＞
「漱石の晩年の作「こころ」の中に、次のような一節が
あります。
「夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その
時私は明治の精神が天皇に始...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-22T18:09:13+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(15)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜明治人、鴎外と漱石＞<br>
「漱石の晩年の作「こころ」の中に、次のような一節が<br>
あります。<br>
「夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その<br>
時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終わったよ<br>
うな気がしました。最も強く明治の影響を受けた私ど<br>
もが、その後に生き残っているのは必竟時勢おくれだ<br>
という感じがはげしく私の胸を打ちました。私はあから<br>
さまに妻にそう言いました。妻は笑って取り合いません<br>
でしたが、何を思ったのか、突然私に、では殉死でもし<br>
たらよかろうとからかいました。<br>
・・・<br>
私は妻に向かってもし自分が殉死するならば、明治の<br>
精神に殉死するつもりだと答えました。<br>
・・・<br>
私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを<br>
読みました。西南戦争の時敵に旗を取られて以来、申し<br>
訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで生きて<br>
いたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、<br>
乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月<br>
を勘定してみました。・・・三十五年の距離があります。<br>
乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死<br>
ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に<br>
とって、生きていた三十五年が苦しいのか、また刀を<br>
腹に突き立てた一刹那な苦しいか、どっちが苦しいだろう<br>
と考えました。」<br>
<br>
「彼（鴎外）は九月十三日天皇御大葬のあった青山葬場<br>
殿からの帰り途に自刃の報を聞いたのであるが、九月<br>
十六日乃木夫妻の遺書の一部が発表されて真相が判明す<br>
ると、その晩のうちに「興津弥五右衛門の遺書」という<br>
小説を書き上げて、大将夫妻葬儀の日「中央公論」に<br>
送った。」]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52074976.html">
<title>日露戦争開戦の日に旅立った天心</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52074976.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(14)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜日露戦争開戦の日に旅立った天心＞
天心のアメリカ渡航は、政府の命令によるもの
ではなく、むしろ、時の政府に追放されて亡命者
のごとく日本を去ったと言ったほうが正し...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-21T21:02:43+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(14)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜日露戦争開戦の日に旅立った天心＞<br>
天心のアメリカ渡航は、政府の命令によるもの<br>
ではなく、むしろ、時の政府に追放されて亡命者<br>
のごとく日本を去ったと言ったほうが正しい。<br>
明治三十七年二月十日の午後、天心は弟子の<br>
横山大観と菱田春草をともない、汽船伊予丸に<br>
乗った。出帆の間際に、伊藤博文が駆けつけて<br>
来て、「日露の宣戦布告が今日明日にもなされる<br>
あろうこと、そして伊予丸の安全が保証されない<br>
ことなど」を演説した。天心はまだ知らなかった<br>
が、この日の朝、日本艦隊は仁川港外において<br>
ロシア軍艦三隻を撃沈し、天心が予言し待望した<br>
日露戦争の幕は切って落とされていたのだ。<br>
・・・<br>
天心はボストン美術館に勤務しつつ「日本の目<br>
ざめ」を書いた。」<br>
<br>
「ふみにじられた東洋人にとっては、ヨーロッパ<br>
の栄光はアジアの屈辱である」（天心）<br>
<br>
天心はその掲げる思想「アジアは一つ」によって<br>
インドではイギリス官憲によって追放され、そし<br>
てイギリスの同盟国であった当時の日本もまた彼<br>
を歓迎しなかった。彼の創設した「日本美術院」<br>
は解体し、同人は四散し、世評は天心を山師あつ<br>
かいにした。日本の風は天心にとってヒマラヤお<br>
ろしよりも冷ややかであった。<br>
<br>
注）日本美術院：<br>
明治31年（1898年）、東京美術学校を排斥さ<br>
れ辞職。同時に連帯辞職した横山らを連れ、<br>
日本美術院を上野谷中に発足させる。<br>
<br>
東京美術学校：<br>
明治19-20年東京美術学校設立のため、天心、欧米視察旅行。  <br>
明治22年東京美術学校開校。 <br>
明治23年天心27歳、東京美術学校第2代校長（初代は浜尾新）。<br>
明治31年天心、東京美術学校を辞職。<br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52073456.html">
<title>岡倉天心</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52073456.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(13)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜岡倉天心＞
「一部の史家のあいだでは、天心の著書は
日本帝国主義の弁護で、独断と煽動にみちた
けしからん本だということになっているが、
そんなものではない。頼山陽...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-20T21:57:10+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(13)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜岡倉天心＞<br>
「一部の史家のあいだでは、天心の著書は<br>
日本帝国主義の弁護で、独断と煽動にみちた<br>
けしからん本だということになっているが、<br>
そんなものではない。頼山陽の「日本外史」<br>
にまさるともおとらぬ詩人的史書であって、<br>
当時としては集めうるかぎりの史料に即し、<br>
鋭い分析を加えている。最近の「近代化論」<br>
や「文明論」とも矛盾しない大胆な提言もあり<br>
、天心の愛した東洋と日本の美術と同じく、<br>
少しも古くなっていないのだ。<br>
・・・<br>
ただ残念なことには、岩波文庫版は名訳とは<br>
申しかねる。詩人の文章は詩人の筆で訳すべき<br>
だ。若い篤学の士による改訳がほしい。」<br>
<br>
天心は、吉田松陰や橋本左内を殺し、西郷隆盛<br>
を追放した反動政治家（井伊直弼）が桜田門外<br>
で暗殺されたのは当然だと言い、<br>
「暗殺は丸腰の愛国心の唯一の武器である」<br>
とテロリズムを弁護している。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52071790.html">
<title>武士の精神</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52071790.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(12)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜武士の精神＞
王陽明の陽明学は行動することを教えたが、
何のために、誰のために行動すべきかは教え
なかった。この欠陥を補ったものは国学である。
国学者は仏教と儒教...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-19T20:47:54+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(12)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜武士の精神＞<br>
王陽明の陽明学は行動することを教えたが、<br>
何のために、誰のために行動すべきかは教え<br>
なかった。この欠陥を補ったものは国学である。<br>
国学者は仏教と儒教のほかに「純潔を崇める<br>
一種の祖先崇拝の宗教」としての神道がある<br>
ことを発見したのである。<br>
国学と歴史は学者のものから武士と浪士のもの<br>
となった。<br>
岡倉天心は頼山陽を高く評価した。<br>
建武中興における後醍醐天皇と楠木正成、正行<br>
父子の事蹟が想起された。<br>
天心はサムライの精神を愛した。<br>
「日本美術の鑑賞における標準が急激に下がった<br>
のは、大名とサムライの消滅が原因であった」と<br>
さえ、天心は断言している。<br>
金銭を軽んじ、名誉を重んずる心がサムライに<br>
真の贅沢を教え、美術における品格と優雅と気魄<br>
を生み出したのだと言う。<br>
このサムライ精神の強調は明治の思想家たちに<br>
共通する。<br>
中江兆民（自由民権家）も、内村鑑三（キリスト<br>
教徒）も、福沢諭吉（啓蒙家）も、渋沢栄一<br>
（実業家）も、山路愛山（社会主義者）も、<br>
すべて武士の精神によって行動した。<br>
<br>
「天心にしたがえば、古学、陽明学、国学によって<br>
「日本の目ざめ」は用意された。それは日本の<br>
「内部からの声」であった。」]]>
</content:encoded>
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<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52070303.html">
<title>日清、日露戦争が残したもの</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52070303.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(11)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜日清、日露戦争が残したもの＞
「日清戦争は内村鑑三の「代表的日本人」を
生み、日露戦争は岡倉天心の「日本のめざめ」
「東洋の理想」「茶の本」を生んだ。おもしろ
い...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-18T20:54:53+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(11)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜日清、日露戦争が残したもの＞<br>
「日清戦争は内村鑑三の「代表的日本人」を<br>
生み、日露戦争は岡倉天心の「日本のめざめ」<br>
「東洋の理想」「茶の本」を生んだ。おもしろ<br>
いことに、これらの「史書」はすべて英語で<br>
書かれている。ともに西洋人啓蒙のための<br>
「日本弁護論」であった。」<br>
<br>
「天心は帰朝して家人に語ったという。<br>
<br>
「自分は米国にいたが、日本のためには、<br>
日本にいて鉄砲かついで御奉公した以上に<br>
つくしたよ」」]]>
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<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52069714.html">
<title>伊藤博文</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52069714.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(10)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜「天皇制」（井上清）1953＞
戦後の左翼史家の井上清氏は「天皇制」で、

「（天皇制は）ごく最近、今からわずか78年
前のいわゆる王政復古を出発点としてつくられた
もの...</description>
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<dc:date>2009-11-17T22:16:57+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(10)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜「天皇制」（井上清）1953＞<br>
戦後の左翼史家の井上清氏は「天皇制」で、<br>
<br>
「（天皇制は）ごく最近、今からわずか78年<br>
前のいわゆる王政復古を出発点としてつくられた<br>
ものである。<br>
・・・<br>
すなわち天皇の万世一系は、人民の苦しみの<br>
万世一系の頂点として、ただその意味に於いて<br>
のみ存在し得たのである」<br>
と書いた。<br>
<br>
「このような史観と断定は天皇制打倒をいそぐ<br>
共産主義党派の政治的必要から生まれたもので<br>
あるが、同時に、伝統というものの意味を知らぬ<br>
無知無識からも生まれる。」<br>
<br>
＜千円札ー伊藤博文＞<br>
「今（当時）の千円札の肖像画は伊藤博文である。<br>
・・・だれが選んだのかは知らぬが、これを選んだ<br>
のは正しい伊藤博文評価だと私は思う。在世中から<br>
いろいろと悪名高く、敗戦後は特に「日本帝国主義」<br>
の元凶の一人として攻撃されている彼の肖像を敢えて<br>
選んだ造幣局の勇気に、私は感心している。」<br>
<br>
補記：<br>
<br>
・勝海舟は西郷隆盛に次ぐ人物として伊藤博文を評価。<br>
・薩摩の少年たちには、勤皇史としての「太平記」を<br>
読むことが義務づけられていた。<br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52068989.html">
<title>日本はきわめて珍しい例外</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52068989.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(9)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜日本はきわめて珍しい例外＞
--トインビーの言葉--

「十九世紀の西欧においては、白人民族同士
の戦乱状態が常習的に行われており、・・・
東方をのぞめば、瓦解した諸帝...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(9)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜日本はきわめて珍しい例外＞<br>
--トインビーの言葉--<br>
<br>
「十九世紀の西欧においては、白人民族同士<br>
の戦乱状態が常習的に行われており、・・・<br>
東方をのぞめば、瓦解した諸帝国が、トルコ<br>
からシナにいたるまで、アジアの全大陸にその<br>
死骸を並べていて、・・・いたるところの原住民<br>
たちは、羊のごとく従順にその毛を刈り取らせ、<br>
ただ黙々たるのみ。あえて毛を刈り取る者に立ち<br>
向かって反抗しようとしなかった。<br>
ただ日本人だけが全くちがった反応を示した。<br>
しかし、日本はきわめて珍しい例外であった。」<br>
（「文明の実験」）]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52068289.html">
<title>皇国史観</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52068289.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(8)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜皇国史観＞
「私は「維新史」や「近世日本国民史」を
皇国史観による史書だと評して否定し去る
見地には賛成しないが、戦前の一部有名学者
の中に、かりそめにも天皇の神聖...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-15T19:24:46+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(8)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜皇国史観＞<br>
「私は「維新史」や「近世日本国民史」を<br>
皇国史観による史書だと評して否定し去る<br>
見地には賛成しないが、戦前の一部有名学者<br>
の中に、かりそめにも天皇の神聖、皇室の尊厳、<br>
日本の神国性を傷つけるように見える見解を、<br>
たとえそれが動かすことのできぬ史実に即した<br>
ものであっても、一切許さない「学派」がいた<br>
ことは認める。<br>
その種の「学者」の漫画化された典型は簑田<br>
胸喜教授であろう。<br>
・・・<br>
大川周明博士でさえ、その種の「国士的学者」<br>
からしばしば非国民あつかいされたと苦笑を<br>
もって述べている。事実、大川氏の「二千六百<br>
年史」の初版は、この「学派」の圧力によって<br>
発禁され改訂を命じられた。」<br>
<br>
「「皇国史観」というのは「左翼人民史観」で<br>
ないというだけのことではないのか？もしそう<br>
ならば「皇国史観」とよばれることは、日本の<br>
歴史家にとっては名誉である。なぜなら、皇室<br>
の実在と志士の勤皇心を抜きにしては、明治維<br>
新史は絶対に書き得ず、解釈し得ないからだ。<br>
「維新史（六巻）」は明治四十四年以来、約<br>
三十年の歳月をかけ、明治大正の史家たちの<br>
知識と精力を結集し、集め得るかぎりの史料に<br>
もとづいて編纂されたものだ。この労作をまる<br>
で無価値なもののようにかたづけるのは、先輩<br>
史家に対して失礼である。失礼は別にしても、<br>
修史事業と史学そのものの否定であり、歴史学者<br>
としての自殺行為だ。」<br>
<br>
「「皇国史観」と呼ばれることを恐れることは<br>
ない。学者の良心と志をもって研究すれば日本<br>
の歴史家は必ず「皇国史観」に接近する。」<br>
<br>
＜家永教授の教科書裁判＞<br>
「私は文部省の処置に賛成する。これは高校生の<br>
ための教科書の一節なのだ。このような一党一派<br>
の政治的意見を教科書の脚注としてなぜつけ加え<br>
る必要があるのか？家永教授にはその必要がある<br>
らしい。だが、教科書にはその必要はない。」<br>
<br>
＜明治維新を知る為の一級史料＞<br>
「維新史（全六巻）」昭和14-16<br>
(維新史料編纂事務局)<br>
「概観維新史」（文部省）<br>
「近世日本国民史」（徳富蘇峰）<br>
<br>
＜皇国史観の伝統＞<br>
「大日本史」水戸光圀<br>
「古史伝」平田篤胤<br>
「古事記伝」本居宣長<br>
「日本外史」頼山陽<br>
「神皇正統記」北畠親房<br>
「日本書紀」<br>
「古事記」]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52067566.html">
<title>長州と薩摩はいかにして雄藩になりえたか</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52067566.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(7)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜長州と薩摩はいかにして雄藩になりえたか＞
「後の薩摩と長州が共に実力ある攘夷の雄藩と
なったのは、沖縄と対馬の事件があったから
だと言っても、必ずしもこじつけでは...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-14T19:42:12+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(7)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜長州と薩摩はいかにして雄藩になりえたか＞<br>
「後の薩摩と長州が共に実力ある攘夷の雄藩と<br>
なったのは、沖縄と対馬の事件があったから<br>
だと言っても、必ずしもこじつけではない。<br>
・・・<br>
西洋列強の強圧を敏感せざるを得ない立場に<br>
あったために、最も早く富国強兵策を採用して、<br>
産業を起こし、軍備を整え、大胆に西洋兵器を<br>
輸入して、逆に西洋列強に応戦したのはこの<br>
両藩である。」]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52067093.html">
<title>井伊直弼は開明の政治家か？</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52067093.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(6)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜井伊直弼は開明の政治家か？＞
「井伊直弼を「開明の政治家」と呼ぶのは俗説
である。大老井伊はペルリの強制に屈して開国
し、憂国の志士と学者の大量虐殺を強行して
自ら...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-13T23:41:59+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(6)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜井伊直弼は開明の政治家か？＞<br>
「井伊直弼を「開明の政治家」と呼ぶのは俗説<br>
である。大老井伊はペルリの強制に屈して開国<br>
し、憂国の志士と学者の大量虐殺を強行して<br>
自らも首を失った人物だ。明治の文明開化期と<br>
敗戦後のデモクラシイ万歳時代には、井伊大老<br>
の名誉回復が行われた。<br>
たしかに個人としての井伊は国学者であり、憂<br>
国の志と幕府と朝廷への忠誠心を持っており、<br>
その内心の苦闘は「悲劇の人物」の名に価する<br>
一面もあるが、歴史の流れの中では、一個の<br>
反動政治家にすぎない。」]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52066308.html">
<title>日本人とは驚歎すべき民族である！</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52066308.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「緑の日本列島」(5)
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）

＜台風が育てた？ケロリ民族、日本＞

「われわれ（西欧人）の間では財産を失い、
また家を焼くことに、大きな悲しみをあらわす。
日本人はこれらすべてのことに、表面はきわ...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-12T20:19:00+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「緑の日本列島」(5)<br>
昭和41（1966）年8月5日第一刷（文藝春秋）<br>
<br>
＜台風が育てた？ケロリ民族、日本＞<br>
<br>
「われわれ（西欧人）の間では財産を失い、<br>
また家を焼くことに、大きな悲しみをあらわす。<br>
日本人はこれらすべてのことに、表面はきわめて<br>
軽く過ごす」<br>
（ルイス・フロイス）<br>
<br>
「日本人とは驚歎すべき民族である！今日午後、<br>
火災があってから三十六時間たつかたたぬかに、<br>
はや現場では、せいぜい板小屋と称すべき程度<br>
のものではあるが、千戸以上の家屋が、まるで<br>
地からはえたように立ち並んでいる。<br>
・・・<br>
女や男や子供たちが、三々五々小さい火を囲んで<br>
すわり、タバコをふかしたりしゃべったりしている。<br>
かれらの顔には悲しみの跡形もない。<br>
・・・<br>
かきくどく女、寝床をほしがる子供、はっきりと<br>
災難にうちひしがれている男などどこにも見当た<br>
らない」<br>
（ベルツ博士の手紙より）]]>
</content:encoded>
</item>

</rdf:RDF>
