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 <title>PANSE</title>
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<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52062248.html">
<title>日米安保と平和憲法</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52062248.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(28)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜日米安保と平和憲法＞
--あとがきより--

「敗戦後の日本は角を失った牛、牙を抜かれた
豚として、ただ肥りつづけた。幸いに日米安保
条約という牧場の柵があり、米軍と...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-06T20:51:59+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(28)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜日米安保と平和憲法＞<br>
--あとがきより--<br>
<br>
「敗戦後の日本は角を失った牛、牙を抜かれた<br>
豚として、ただ肥りつづけた。幸いに日米安保<br>
条約という牧場の柵があり、米軍というカウボーイ<br>
がいてくれたので、赤い狼の餌食となることを<br>
まぬかれた。だが、カウボーイはいずれ故郷に<br>
引き揚げ、柵は取り払われる。米国には米国の<br>
”国益”と世界政策がある。ただ経済的に肥った<br>
ということだけで早くも増長し慢心して、<br>
ブーブー・モーモーの不平ばかりならべはじめた<br>
エコノミック・アニマルどもに愛想つかす時が<br>
必ずくる。無防備の島に肥った食用獣だけが<br>
取り残される。その時になって、角を切り牙を<br>
抜いたのはマッカーサー占領軍ではないかなど<br>
と言っても間に合わぬ。おのれを守るのはおの<br>
れだけだ。<br>
・・・<br>
日本はいまだに”占領懲罰憲法”下の半国家<br>
半独立国にすぎない。前進のためには、この<br>
根本を正すことから始めなければならぬ。<br>
一日も早く”占領憲法”を廃止し、日本人自身<br>
の手による自主憲法を制定し、自衛隊を正規の<br>
国軍として独立国の国防体制を整えなければ<br>
ならぬ。」]]>
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<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52061637.html">
<title>西郷隆盛</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52061637.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(27)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜西郷隆盛＞
--明治百年の精神--柳内達雄氏との対談より

質問：「西郷隆盛」をまた連載されはじめた
訳ですが「西郷隆盛」のよさは何ですか？

「あの人がみずから選んだ...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-05T20:28:34+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(27)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜西郷隆盛＞<br>
--明治百年の精神--柳内達雄氏との対談より<br>
<br>
質問：「西郷隆盛」をまた連載されはじめた<br>
訳ですが「西郷隆盛」のよさは何ですか？<br>
<br>
「あの人がみずから選んだ言葉がありますよ。<br>
「敬天愛人」天の道に従い、人を愛するという<br>
ことなんですが、これは単なる政治家の言葉で<br>
はないんです。「敬天愛人」というようなこと<br>
を言う人は、しかもその言葉を本当に実践する<br>
人は政治家として成功するはずはないんです。<br>
その代わり、おのれは滅びても人の精神を養った<br>
ので、明治のあれだけの政治家の中で、いまだに<br>
残っているのは西郷隆盛だけです。日本人の危機<br>
のたびに人を鼓舞する。西郷を慕う人は、社会的<br>
に成功する訳ではないんです。けれども、日本人<br>
の精神を維持するために書いておかねばならぬ。<br>
書くに値する立派な人なんです。」]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52061031.html">
<title>本居宣長と平田篤胤</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52061031.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(26)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜本居宣長と平田篤胤＞
「本居宣長なんていう人は学者だな、それを
実践運動のイデオロギーとしたのは平田篤胤
ですよ。だから平田学はたいへん独断的で学問
と言えない。...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-04T21:11:37+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(26)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜本居宣長と平田篤胤＞<br>
「本居宣長なんていう人は学者だな、それを<br>
実践運動のイデオロギーとしたのは平田篤胤<br>
ですよ。だから平田学はたいへん独断的で学問<br>
と言えない。津田左右吉も篤胤を学者としては<br>
認めていない。小林秀雄も篤胤を「あのバカが」<br>
なんて怒っているけど、篤胤はマルクスに対する<br>
レーニン、スターリンであって、政治運動を<br>
やっているんだからね、学問的には独断的に<br>
ならざるを得ない。政治では教義そのものに<br>
進歩があっちゃだめなんだから、ある一定の<br>
段階で固定してしまうんだよ。それがイデオ<br>
ロギーなんだな。」<br>
（「日本人とイデオロギー」林房雄、今日出海対談より）<br>
<br>
「宣長を、小林秀雄にならって近ごろ読んでいる<br>
が漢意（からごころ）を排すというわけで、儒教<br>
の「道（どう）」を盛んに批判している。なるほど<br>
日本には支那（シナ）流の道というものはなかった。<br>
日本の道というのはただ歩く道（みち）であって<br>
どこかに通ずるものだ。天のどっかにあって人間<br>
を統制し強制するものじゃない、そういうような<br>
ことを宣長が言っている。」<br>
（「日本人とイデオロギー」林房雄、今日出海対談より）]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52060331.html">
<title>トインビー教授の軽率な言葉</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52060331.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(25)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜トインビー教授の軽率な言葉＞
--日本って”好戦的”民族？--

日本国憲法第九条にたいして、イギリスの歴史学者
トインビーは,

「・・・一つの強国が、戦争に訴えると...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-03T19:40:59+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(25)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜トインビー教授の軽率な言葉＞<br>
--日本って”好戦的”民族？--<br>
<br>
日本国憲法第九条にたいして、イギリスの歴史学者<br>
トインビーは,<br>
<br>
「・・・一つの強国が、戦争に訴えるという伝統的<br>
な権利を自発的に放棄したのだった。・・・」<br>
と言った。<br>
<br>
「トインビー教授は、戦前までの日本が極めて好戦的<br>
で侵略的な軍国主義者によって支配され、国民もその<br>
影響をうけて好戦的であったが、敗戦と原子爆弾の<br>
洗礼によって、一挙に夢がさめ、戦争放棄の憲法を<br>
自発的に採用した、というふうに理解しているようだ。<br>
あまりに、”旅行者的な印象”であり、あまりにも<br>
イギリス人的な理解の仕方である。<br>
近世史だけをとって見ても、イギリス人はいったい<br>
何回戦争を行ったことであろうか。それにくらべると<br>
日本は十分の一も、いや百分の一も外国との戦争は<br>
行っていない。<br>
最も対外戦争の多かった明治百年間でも、日清、日露、<br>
大東亜戦争の三つだけである（第一次世界大戦はイギ<br>
リスとドイツの起こした戦争への義務的参加にすぎ<br>
なかった）。<br>
神話時代には神功（じんぐう）皇后の三韓征伐があり、<br>
近世の初めには豊臣秀吉の朝鮮征伐があったが、それ<br>
だけである。二千年の間に五つの対外戦争しかおこして<br>
いない民族と、七つの海を荒らしまわって、”太陽の<br>
没することなき大征服国家”をつくった海賊民族とを<br>
くらべて、どっちを好戦的と呼ぶべきであろうか。」<br>
<br>
繰り返して言うと、”平和憲法”は日本が自発的に<br>
採用したものではなく、”押しつけられた憲法”で<br>
ある。<br>
”カミカゼ特攻”は欧米を恐怖に震え上がらせた。<br>
こんな日本と二度と戦いたくない、と思っただろう。<br>
それが、アメリカが作成した”平和憲法”の真意である。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52059639.html">
<title>日本国憲法制定の実情</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52059639.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(24)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜日本国憲法制定の実情＞
吉田茂の「回想十年」によれば、昭和二十一年
二月十三日。
「その日は私と松本博士、それに当時、終戦連絡
事務局の次長をしていた白州次郎君も...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-02T20:32:09+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(24)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜日本国憲法制定の実情＞<br>
吉田茂の「回想十年」によれば、昭和二十一年<br>
二月十三日。<br>
「その日は私と松本博士、それに当時、終戦連絡<br>
事務局の次長をしていた白州次郎君も一緒だった。<br>
先方の顔ぶれは、ホイットニー民政局長、ケーディス<br>
大佐、その他であった。<br>
この時、ホイットニー局長が、”日本政府が提出した<br>
憲法改正案は、総司令部にとっては、受け入れられない。<br>
そこで総司令部でモデルの案をつくった。これを<br>
渡すから、その案にもとづいた日本案を至急起草して<br>
もらいたい”といって、英文でタイプしたものを<br>
何部か差し出した。そして、この案は米国政府にも<br>
極東委員会にも承認されるものであること、<br>
マッカーサー元帥は、かねてから天皇の地位について<br>
深い考慮をめぐらしているが、この草案にもとづく<br>
憲法改正を行うことが、その目的にかなう所以であり、<br>
しからざる限り、天皇の一身を保証することはできない<br>
というようなことを述べた」<br>
<br>
これはソ連の要求によって、天皇は戦犯裁判に引き<br>
出されるかもしれないという意味である。<br>
<br>
注）：当時の連合国の中では、ソ連とオーストラリア<br>
とフィリピンが天皇制廃止を主張していた。<br>
<br>
三人のアメリカ人はモデル案を渡すと庭に出た。<br>
窓越しに、日本人たちがその書類の上に額をあつめて<br>
いるのが見えた。<br>
<br>
「日本人たちは、雷にうたれたような顔をしていた。<br>
通訳の役をつとめた白州は、実際に口をあけても、<br>
何の音も出てこなかったことが何回かあった」<br>
（「ニッポン日記」）<br>
<br>
同じ場面をホイットニー自身は次のように書いている。<br>
「白州氏は何かおかしな物の上に座ったかのように<br>
飛び上がった。松本博士は音を立てて息を飲みこんだ。<br>
吉田氏の顔は黒雲と化していた」<br>
<br>
「ホイットニーもマッカーサー元帥自身も、後に発表<br>
した「回想録」の中では、新憲法制定の過程には何の<br>
強制も威嚇もなく、日本人側の”自発的意志”によった<br>
もののように述べている。しかし、ホイットニーが<br>
「この草案にしたがわなければ、天皇の身柄は保証<br>
しない」と言ったことは吉田茂も書きとめており、<br>
また「この草案を支持しなければ、司令部は諸君の<br>
頭上を越えて発表する」と言ったと書いているのは、<br>
マーク・ゲーンだけではない。<br>
これらの言葉が強制と威嚇と無関係だと思い込むの<br>
には、よほど鈍感な神経が必要であろう。」]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52058949.html">
<title>日本国憲法</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52058949.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(23)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜日本国憲法＞
「「日本を完全武装解除し、領土的にも、産業的
にも明治維新前の三等国に還元する」というのが
ヤルタ協定とポツダム宣言における戦勝国の基本
方針であっ...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-11-01T19:37:14+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(23)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜日本国憲法＞<br>
「「日本を完全武装解除し、領土的にも、産業的<br>
にも明治維新前の三等国に還元する」というのが<br>
ヤルタ協定とポツダム宣言における戦勝国の基本<br>
方針であった。新憲法は占領軍の絶対権力によって<br>
この目的を実現し具体化した”降伏憲法”であり、<br>
”懲罰憲法”である。だから、いけない、改正し<br>
なければならぬと私は申しているのだ。」<br>
<br>
「私（マッカーサー）は日本国民に対して事実上<br>
無制限の権力をもっていた。歴史上いかなる植民<br>
地総督も、征服者も総司令官も、私が日本国民に<br>
対してもったほどの権力をもったことはなかった。<br>
私の権力は至上のものであった。」<br>
（マッカーサー）<br>
<br>
＜第九条の発案者は誰？＞<br>
「後にマッカーサーは本国の議会で軍備放棄の<br>
発案者はシデハラであり、すなわち日本人自身<br>
だと証言した。これは明らかな偽証である。」<br>
<br>
大部分の日本人はこの偽証を信じて今に至って<br>
いる。<br>
<br>
吉田茂の「回想」には「私の感じでは、あれ<br>
（第九条）はやはりマッカーサー元帥が先に言い<br>
出したことのように思う」とある。<br>
<br>
注）シデハラ：幣原喜重郎（首相）]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52058278.html">
<title>福沢諭吉の「帝室論」</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52058278.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(22)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜福沢諭吉の「帝室論」＞
「我が帝室は日本人の精神を収攬（しゅうらん）する
の中心なり。その功徳至大なりといふべし。国会の
政府は二様の政党相争ひて、火の如く水の...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-10-31T19:19:15+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(22)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜福沢諭吉の「帝室論」＞<br>
「我が帝室は日本人の精神を収攬（しゅうらん）する<br>
の中心なり。その功徳至大なりといふべし。国会の<br>
政府は二様の政党相争ひて、火の如く水の如く。盛夏<br>
の如く厳冬の如くならんといへども、帝室はひとり<br>
万年の春にして、人民これを仰げば悠然として和気を<br>
催すべし」<br>
<br>
「帝室は偏なく党なく、政党のいづれを捨てず、また<br>
いづれをも援けず。<br>
・・・<br>
内部の精神を制してその心を収攬するの引力は、ひとり<br>
帝室の中心にあって存するものと知るべし」<br>
<br>
「福沢諭吉は明治十四年の政変によって大隈重信と共に<br>
追放された形になっていたので、憲法の起草には参与<br>
しなかった。伊藤博文によって起草された明治憲法には<br>
天皇大権としての「統帥権の独立」があった。福沢は<br>
それに賛成している。明治憲法にはいろいろと不満を<br>
持ったかもしれぬが、全体としては自分の理想の実現<br>
とみた。<br>
しかし、この「統帥権の独立」が天皇機関説排撃の<br>
論拠の一つとなり、結果として「軍部の独走」と<br>
「官僚の独善」をもたらしたことは、大東亜戦争に至る<br>
昭和史が示すとおりである。」<br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52057625.html">
<title>”逆臣学者”の再評価、津田左右吉</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52057625.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(21)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜”逆臣学者”の再評価、津田左右吉＞
美濃部博士同様、津田博士もその「古事記の原典批判」
によって”逆賊”扱いされた。

「敗戦後、岩波書店の左翼雑誌「世界」が創刊...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-10-30T21:20:07+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(21)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜”逆臣学者”の再評価、津田左右吉＞<br>
美濃部博士同様、津田博士もその「古事記の原典批判」<br>
によって”逆賊”扱いされた。<br>
<br>
「敗戦後、岩波書店の左翼雑誌「世界」が創刊され、<br>
その四月号に津田博士の「建国の事情と万世一系の<br>
思想」という論文がのった。編集者は博士が、「天皇<br>
否定論」を書いてくれることと思っていたようだ。<br>
ところが、そうではなかった。博士の論文は日本国家<br>
成立の事情と皇室の特殊性を述べ、天皇廃止を主張する<br>
どころか、<br>
<br>
「皇室を愛することができないような国民は、少なく<br>
ともその点において、民主主義を実現する能力に欠けた<br>
ところのあることを示すものである。そうしてまたかく<br>
のごとく皇室を愛することは、おのずから世界に通ずる<br>
人道的精神の大なる発露である。」<br>
<br>
と結論したので、当時の論壇は大騒ぎになった。<br>
・・・<br>
ここでも、私はまた”逆臣学者”津田左右吉を見直さざ<br>
るを得なかった、と言えば偉そうだが、つまり、津田著作<br>
を読んでいなかったこと、しかも人づてに聞いた津田学説<br>
を時勢の狂気に押されて政治的軍事的見地でかたづけて<br>
しまった自分を恥じたのである。」<br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52056910.html">
<title>”逆臣学者”の再評価,美濃部達吉</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52056910.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(20)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜”逆臣学者”の再評価,美濃部達吉＞

「美濃部博士の真価ともいうべきものを知ったのは、
戦争が終わってからである。博士はマッカーサー
憲法に最後まで反対した。枢密...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-10-29T20:52:34+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(20)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜”逆臣学者”の再評価,美濃部達吉＞<br>
<br>
「美濃部博士の真価ともいうべきものを知ったのは、<br>
戦争が終わってからである。博士はマッカーサー<br>
憲法に最後まで反対した。枢密顧問官として、<br>
「日本の憲法は明治憲法で十分だ、民主主義に<br>
反対する点は一つもない」と主張して、採決に<br>
あたっては、ただ一人、起立しなかった。<br>
これには驚いた。びっくりした。学者として愛国者<br>
として第一級の人物ではないかと思った。」<br>
<br>
<br>
補記：美濃部達吉はその「天皇機関説」によって<br>
戦争中は”国賊”扱いされ、生命をおびやかされる<br>
ほどの攻撃を受けた。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52056220.html">
<title>小泉信三の怒り</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52056220.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(19)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜小泉信三の怒り＞

「数年前の話だが、小泉先生が床屋に行っていると、
隣の椅子で慶應義塾大学の学生が、「福沢諭吉って
何だい、そんなの知らないね」と放言したのが耳...</description>
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<dc:date>2009-10-28T20:54:04+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(19)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜小泉信三の怒り＞<br>
<br>
「数年前の話だが、小泉先生が床屋に行っていると、<br>
隣の椅子で慶應義塾大学の学生が、「福沢諭吉って<br>
何だい、そんなの知らないね」と放言したのが耳に<br>
入った。先生は火のように怒り、その学生を詰問し、<br>
ついに退学を命じたというエピソードがある。<br>
結構な話だ。」<br>
<br>
<br>
補記：小泉 信三<br>
明治21年（1888）-昭和41年（1966)<br>
経済学者。昭和天皇の教育掛。<br>
昭和8年（1933）～昭和22年（1947）まで慶應義塾塾長。<br>
父.小泉信吉も第二代慶應義塾塾長（1887-1890）]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52055618.html">
<title>一読したい「福沢諭吉」（小泉信三）</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52055618.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(18)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜一読したい「福沢諭吉」（小泉信三）＞
「私は左翼かぶれの大学生だったから、日本の
マルクス学者の「福沢は日本資本主義への道を
開いたブルジョア・イデオローグだ」...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-10-27T21:37:49+09:00</dc:date>
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<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(18)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜一読したい「福沢諭吉」（小泉信三）＞<br>
「私は左翼かぶれの大学生だったから、日本の<br>
マルクス学者の「福沢は日本資本主義への道を<br>
開いたブルジョア・イデオローグだ」という説<br>
を鵜呑みにして、福沢の著作さど読む必要がない<br>
と思っていた。その後、十数年を経て、私はたい<br>
へんおくればせながら愛国心の何物たるかを知り、<br>
愛国陣営に、移行したが、ここでもまた福沢は<br>
文明開化論者で、西洋に心酔して日本の国体の<br>
本質を忘れ去った犯罪的思想家だという説が支配<br>
していた。私はそういうものかと思って、せっかく<br>
買った「福沢全集」も開かずに戦争中をすごして<br>
しまった。<br>
敗戦後は突如として民主主義の家元あつかいされ、<br>
GHQの兵隊学者や日本の左寄り学者どもが福沢を<br>
かつぎまわるので、ますますいやになって、読む<br>
のをやめた。<br>
本腰になって読む気になったのは、小泉（信三）<br>
先生に啓発されたせいもあって、つい最近数年間<br>
のことである。」<br>
<br>
<br>
「小泉信三先生が死の直前に書いた<br>
「福沢諭吉」（岩波新書）を読めばよくわかる<br>
ぜひ一読していただきたい。」]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52054892.html">
<title>武士は食わねど高楊枝</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52054892.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(17)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜西郷隆盛と武士の精神（4）＞
--新時代を拓いた武士精神--

「維新後のヨーロッパ文明の取り入れも武士出身
の者が率先して実行したし、実業家と言われる
者も武士出身者...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-10-26T20:45:10+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(17)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜西郷隆盛と武士の精神（4）＞<br>
--新時代を拓いた武士精神--<br>
<br>
「維新後のヨーロッパ文明の取り入れも武士出身<br>
の者が率先して実行したし、実業家と言われる<br>
者も武士出身者が大部分だ。これはフランスの<br>
第三階級、ブルジョア階級の発生と非常に違って<br>
いる。・・・（三菱の岩崎は土佐の武士、渋沢<br>
栄一は一橋家の家臣・・・）<br>
日本では、実業家でも金ばかりに執着して金儲け<br>
をした者は尊敬を受けないという伝統がある。<br>
五島慶太や大倉喜八郎を尊敬する日本人はいない。<br>
いても少ない。」<br>
<br>
「日本の実業家にはいまだに武士の精神がある。<br>
これが日本の資本主義を特色のあるものにして<br>
いる、とライシャワー教授が書いている。」<br>
<br>
補記：「武士は食わねど高楊枝」<br>
武士は、たとえ貧しさで物が食えなくても、満腹<br>
を装って楊枝を使うものだということ。<br>
武士は生活に窮（きゅう）しても不義を行わない。<br>
<br>
日本の高度成長を支えた一つは、経営者の安すぎる<br>
報酬であった。それは、”武士の精神”ともいえる。<br>
それこそが日本の力かもしれない。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52054157.html">
<title>「西郷隆盛」全11巻、徳間文庫 林房雄</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52054157.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(16)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜西郷隆盛と武士の精神（3）＞
--西郷を論ずる人の必読書、徳富蘇峰--

「歴史家の中では、何と云っても、徳富蘇峰の
西郷観に最も教えられるところが多い。翁の
「近世日...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-10-25T19:31:25+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(16)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜西郷隆盛と武士の精神（3）＞<br>
--西郷を論ずる人の必読書、徳富蘇峰--<br>
<br>
「歴史家の中では、何と云っても、徳富蘇峰の<br>
西郷観に最も教えられるところが多い。翁の<br>
「近世日本国民史」百巻は明治十年で終わって<br>
いるので、最後の二十巻ほどは期せずして<br>
西郷隆盛論のようになっている。これほど広く<br>
資料を集め、史家としての公平と洞察を失うこと<br>
なく西郷を描いた本は他にないのであるから、<br>
今後西郷を論ずる人々は、少なくとも徳富「国<br>
民史」の八十巻以後には目を通しておいていた<br>
だきたいと私は望む。」<br>
<br>
<br>
「私が小説「西郷隆盛」を書きはじめて、もう<br>
三十年以上になる。<br>
・・・<br>
あと二、三年の余命が与えられるのならば、西郷<br>
の全肖像を書き得るだろうと思うし、これを書か<br>
なければ西郷さんにも相済まぬ、日本の国にも<br>
相済まぬという気持ちになった。<br>
・・・<br>
（いろいろとやりたいこと、やらねばならぬも<br>
あるが）六十五歳の半病人である私・・・に<br>
命ぜられた仕事は、”西郷”と取り組んで、その<br>
全肖像を描き残すことだと思い定めた。」<br>
<br>
参考：「西郷隆盛」全11巻、徳間文庫<br>
1986年2月15日　初版]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52053499.html">
<title>「代表的日本人」（内村鑑三）</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52053499.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(15)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜西郷隆盛と武士の精神（2）＞
福沢諭吉の「丁丑（ていちゅう）公論」の中で、

「福沢ははっきりと「西郷は官員（官吏）の敵
であって、決して日本人民の敵ではない」と
...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-10-24T20:09:03+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(15)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜西郷隆盛と武士の精神（2）＞<br>
福沢諭吉の「丁丑（ていちゅう）公論」の中で、<br>
<br>
「福沢ははっきりと「西郷は官員（官吏）の敵<br>
であって、決して日本人民の敵ではない」と<br>
言っている。「西郷を恐れ憎んだのは専制政府の<br>
官員どもであって、人民は西郷を憎まないどころ<br>
か、大いに敬愛し、大いに期待し、いまでも慕って<br>
いる。もし仮に西郷にあの時政権を取らせても、<br>
日本が封建時代に逆転するとか、あるいは武力<br>
専制国家ができたとかいうことはあり得ない」と<br>
論証し強調している。」<br>
<br>
内村鑑三は「代表的日本人」の中で、<br>
<br>
「西郷という人は孤独の中に住み、常に己の内心<br>
と対決していた」と言い、「敬天愛人」の思想を<br>
高く評価して、「西郷は、ただ征服のためにのみ<br>
戦争を始むるのにはあまりにも道徳家であった」<br>
と言い、「維新の功臣たちが立ち止まろうと欲した<br>
ところから、西郷は出発しようと欲した。そして、<br>
明治十年の破裂と悲劇が生まれたのである」と<br>
言っている。西郷が代表したのは日本の武士の<br>
精神であって、封建的な武士階級ではなかった。<br>
・・・<br>
岩倉具視を始めとする”内治派”によって、・・・<br>
はなはだしい堕弱、断乎たる行動に対する恐怖、<br>
明白なる正義を犠牲にした悪平等の愛好など、<br>
まことの武士の慨嘆に堪（た）えない多くの悪習<br>
が生まれたのである。”文明とは道のあまねく<br>
行わるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服<br>
の美麗、外観の浮華を言うに非ず”これが西郷の<br>
文明の定義であった。西郷の言うが如き意味の<br>
文明は彼の時代以後多くの進歩をしなかったの<br>
ではないか」これが西郷の精神を継ぐ内村鑑三の<br>
怒りである。」<br>
<br>
同じことを昭和に入って北一輝は言っている。<br>
大川周明の回想によれば、<br>
<br>
「北君は、大西郷の西南の変をもって反動なりと<br>
する一般史学者とは全く反対に、これをもって<br>
維新革命の逆転または不徹底に対する第二革命と<br>
とした。そして、この第二革命の失敗によって、<br>
日本は黄金大名（財閥）の連邦政府と、これを<br>
支持する徳川そのままの官僚制度政治の実現を<br>
招いた。」<br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://panse.livedoor.biz/archives/52052830.html">
<title>西郷隆盛と武士の精神</title>
<link>http://panse.livedoor.biz/archives/52052830.html</link>
<description>林房雄1903-1975
fusao hayashi

「日本への警告」(14)
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）

＜西郷隆盛と武士の精神（1）＞
「私はことしの三月末から、仙石原に籠もって
「西郷隆盛」の最後の部分の執筆に取り組んで
いる。西郷隆盛という人物は、いろいろと
疑問...</description>
<dc:creator>panse280</dc:creator>
<dc:date>2009-10-23T21:28:33+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[林房雄1903-1975<br>
fusao hayashi<br>
<br>
「日本への警告」(14)<br>
昭和44（1969）年2月10日初版（日本教文社）<br>
<br>
＜西郷隆盛と武士の精神（1）＞<br>
「私はことしの三月末から、仙石原に籠もって<br>
「西郷隆盛」の最後の部分の執筆に取り組んで<br>
いる。西郷隆盛という人物は、いろいろと<br>
疑問の多い人物であるが、書き進むにつれて、<br>
敬すべく愛すべき人間、偉大にして同時に<br>
悲痛な男、新の意味の悲劇的英雄であったこと<br>
を、ますます深く感じるようになった。」<br>
<br>
「戦後は「西郷隆盛は反動武士階級の代表で<br>
あり、十年戦争の敗北は武士階級の敗北と消滅<br>
であり、そこから日本の近代化が始まった」と<br>
いう見方が一般化されている。<br>
・・・<br>
そんなものは「政府へのおべっか使いの学者や、<br>
政府の飼犬化した新聞記者たち」の意見だ、と<br>
福沢諭吉は怒っているが、それと同じ飼犬的<br>
意見が、大東亜戦争の敗戦後に、”左翼文化人”<br>
たちによって復活され、現在ではその方が常識<br>
のように思われている。歴史というものはこんな<br>
奇妙な動き方をするものだ。」]]>
</content:encoded>
</item>

</rdf:RDF>
