2004年11月25日
ねぎらいの言葉
松本清張1909-1992
seityo matsumoto
「実感的人生論」
よくある話であるし、よく聞く話である・・・・
しかし、小学校卒の清張が、この人生論のなかで
語ると、一言の「ねぎらい」の言葉が、いかに希
望と勇気を与えるのかを再認識するのである。
実感的人生論
seityo matsumoto
「実感的人生論」
よくある話であるし、よく聞く話である・・・・
しかし、小学校卒の清張が、この人生論のなかで
語ると、一言の「ねぎらい」の言葉が、いかに希
望と勇気を与えるのかを再認識するのである。
実感的人生論
「私の学歴は小学校卒である。・・・私はかなり
情けない差別待遇をうけてきた。しかし、小学校
卒ということで一度も自分が恥しいと思ったこと
はない。・・・・
一ばん残念なのは人間的に差別されることである。
私は世間の主婦の方にお願いしたい。どんなに下級
の人でも、たとえば、あなた方の台所を訪問して品
物を配達でもしたような場合、それが商売上の当然
の行為であっても、その人間にやさしいねぎらいの
言葉一つでもかけてやっていただきたいのである。
その人間はその一言でどんなに元気づけられ、希望
を与えられるか分からない。
それはあたな方の想像以上かもしれないのである。
相手方が人間的に認めてくれたことであり、差別的
な観念を持たれなかったことへの喜びである。」
情けない差別待遇をうけてきた。しかし、小学校
卒ということで一度も自分が恥しいと思ったこと
はない。・・・・
一ばん残念なのは人間的に差別されることである。
私は世間の主婦の方にお願いしたい。どんなに下級
の人でも、たとえば、あなた方の台所を訪問して品
物を配達でもしたような場合、それが商売上の当然
の行為であっても、その人間にやさしいねぎらいの
言葉一つでもかけてやっていただきたいのである。
その人間はその一言でどんなに元気づけられ、希望
を与えられるか分からない。
それはあたな方の想像以上かもしれないのである。
相手方が人間的に認めてくれたことであり、差別的
な観念を持たれなかったことへの喜びである。」