2004年11月14日

座ったまま死んだ二人

「二人の臨終」

私が知るかぎり、座ったまま死んでいったのは
大燈国師と山岡鉄舟の二人である。
六十九才という高齢で見事な切腹をした千利休
の精神力も見事だが、座ったまま死ぬというの
は精神力だけでは出来ないことだろう。


<大燈国師の臨終>
「大燈国師が臨終に、今日こそ、わが言う通りになれと満足
でない足をみしりと折って鮮血が法衣を染めるにも頓着なく
坐禅のまま往生した・・」(「文芸の哲学的基礎」漱石)


<山岡鉄舟の臨終>
「山岡死亡の際は、おれもちょっと見に行った。明治二十一
年七月十九日のこととて、非常に暑かった。
 おれが山岡の玄関まで行くと、息子、今の直記が見えたか
ら「おやじはどうか」というと、直記が「いま死ぬるという
ております」と答えるから、おれがすぐ入ると、大勢人も集
まっている。その真ん中に鉄舟が例の坐禅をなして、真っ白
の着物に袈裟をかけて、神色自若と坐している。
 おれは座敷に立ちながら、「どうです。先生、ご臨終です
か」と問うや、鉄舟少しく目を開いて、にっこりとして、
「さてさて、先生よくお出でくださった。ただいまが涅槃の
境に進むところでござる」と、なんの苦もなく答えた。
 それでおれも言葉を返して、「よろしくご成仏あられよ」
とて、その場を去った。
 少しく所用あってのち帰宅すると、家内の話に「山岡さん
が死になさったとのご報知でござる」と言うので、「はあ、
そうか」と別に驚くこともないから聞き流しておいた。
 その後、聞くところによると、おれが山岡に別れを告げて
出ると死んだのだそうだ。そして鉄舟は死ぬ日よりはるか前
に自分の死期を予期して、間違わなかったそうだ。
 なお、また臨終には、白扇を手にして、南無阿弥陀仏を称
えつつ、妻子、親類、満場に笑顔を見せて、妙然として現世
の最後を遂げられたそうだ。絶命してなお、正座をなし、び
くとも動かなかったそうだ。」
(勝海舟「「山岡鉄舟の武士道」)

「五十三であった。死にざまもさすが平生の修行じゃ。誠に
立派であった。死する前に入浴して、白衣を着、袈裟を掛け
て仏弟子たるを証した。端坐して、右左を顧みて一笑してそ
のまま死んだ。」(南天棒「山岡の死」)

panse280
posted at 09:15

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