2004年10月06日

人間における運の研究

渡部昇一1930-
shoichi watanabe
米長邦雄1943-
kunio yonenaga

「人間における運の研究」


運の研究を馬鹿にしてはいけない。運とは
結局は、”魅力学”である。

運がよくなるためには、傲慢になってはいけ
ない。馬鹿になる、これこそが要諦である。

馬鹿・謙虚・無心・悟り・これらは皆同じこ
とを指している。

人間における運の研究

<最低条件>
「人が指す将棋がわからなくなったら、と思
うと恐ろしい気がする。・・・だから、若手
に教えを請うといった恥も外聞もないような
ことを平気でやれるわけです。」(米長)
「自分がたずさわる分野については、少なく
ともその最先端の部分をわかっていたいと思
い、わかっているために努力する。それが幸
運の女神に好かれる最低条件なのではないで
しょうか。」(渡部)

<運がない女の恐ろしさ>
「女性の運気というのは男のそれより恐ろし
いようですね。というのは、男は福分を失え
ば、当人に運がつかないということで終わっ
てしまう。だが、女が福分を失うと、当人に
運がないというだけでは終わらない。必ずま
わりに及んでいく。ときには国家を傾けるこ
とにもなる。」(米長)

<運とは女性である>
「運命の女神というぐらいだから、運という
のは女性なのですね。従って女性的な性格が
運の特徴です。つまり理より情が勝っている。
・・・理屈もなにもない。気に入ったとなっ
たら、とことん贔屓(ひいき)にする。・・
だが、女の情が冷めるときというのは、パタ
ーンがきまっています。男の手前勝手な思い
込みがすぎて、理不尽が目にあまるようにな
ると、さすがの女も情が冷めてくる。一度冷
めたとなると、愛しさ余って憎さ百倍で、女
は徹底して嫌いますからね。」(米長)

<運の極意>
「馬鹿になるためには利口にならなければな
らない。馬鹿になるということの一つの重要
な意味は、そこにあるのではないか。利口に
なる。徹底的に利口になる。そののちに馬鹿
になる、・・馬鹿になれるというのは、多分
取り入れ積み込んだものを捨てるということ
なのだと思います。そのとき極意がつかめる
のかもしれない。」(米長)

panse280
posted at 10:42

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字