2004年09月16日

無心についてー東洋的な見方

鈴木大拙1870-1966
zaisetsu suzuki

「無心について」-東洋的な見方-

「知を求めず、見を求めず、仏菩薩になろうと
ねがわず、平々凡々、木石のごとくにして、し
かも、そこから大慈大悲の大行動が開始せられ、
無功用の生活がつづけられる。」(法華経)

以上の文を読んで私は、宮沢賢治の「雨ニモマ
ケズ」を思い出しました。


<無心とは>
「周辺のない円相、これを無心といい、
また無念無想などともいう。」

「心を一点に留めたり、一物を見たり、
一事を知ったりして、一事一物一点の外
に出ることをわすれると、その知見は、
いずれも限られたものになって、自由の
はたらきが、そこから出てこない。
限られた一が、そのまま無限の全体であ
ることに、気がつかなくてはならぬ。」

<自由への道>
(第一段階)
煩悶・懊悩・憂心・不安から離れたいと思う。
(第二段階)
自分で考えたり、師匠について学んだりして
解決策を見つける。(悟れたと思う)
(第三段階)
第二段階で”悟った”と思う執着から離脱する。

以上の三段階を乗り越えると、やっと「自由」
になれる。

「「還ること」が大事なのである。仏にならな
いで、仏になりきらないで、もとの凡夫になる
ことである。禅者のいう「平常心是道」である。
・・・・
何もかも喪亡してしまえというが、そういうと
ころに、人間生活の価値があるのである。」


panse280
posted at 12:36

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字