2004年09月14日
床の間のある家
鈴木大拙1870-1966
zaisetsu suzuki
「東洋的な見方」
-床の間のある家-
昔、どこの家にも床の間があった。子どもたち
も、床の間の”和敬静寂”感に一種の犯しがた
い力を感じていた。
花や掛け軸に大和心を感じていた。
床の間がある家は、大抵、掃除が行き届いてい
た。家族も礼儀正しかった。
新編 東洋的な見方
zaisetsu suzuki
「東洋的な見方」
-床の間のある家-
昔、どこの家にも床の間があった。子どもたち
も、床の間の”和敬静寂”感に一種の犯しがた
い力を感じていた。
花や掛け軸に大和心を感じていた。
床の間がある家は、大抵、掃除が行き届いてい
た。家族も礼儀正しかった。
新編 東洋的な見方
「古人は胸に万巻の書を収めておかぬと、本当の
絵はかけぬといった。美というものは、霊の面か
ら見るべきで、単なる抽象的美をのみ云々すべき
ではないのである。
それゆえ、床の間にかけるものは、何かの意味に
おいて、それを見る人々の霊性的向上に資すべき
でなくてはならぬのである。床の間は一種霊性的
向上の場所なのである。ただ美の鑑賞場ではない
のである。」
「西洋の絵はどこでも、壁の空間をふさぐことに
なっている。一種の飾りものにすぎない。」
「東洋では霊性的美の欠けたものを、本当の美と
は見ないのである。」
絵はかけぬといった。美というものは、霊の面か
ら見るべきで、単なる抽象的美をのみ云々すべき
ではないのである。
それゆえ、床の間にかけるものは、何かの意味に
おいて、それを見る人々の霊性的向上に資すべき
でなくてはならぬのである。床の間は一種霊性的
向上の場所なのである。ただ美の鑑賞場ではない
のである。」
「西洋の絵はどこでも、壁の空間をふさぐことに
なっている。一種の飾りものにすぎない。」
「東洋では霊性的美の欠けたものを、本当の美と
は見ないのである。」