2004年09月08日

あまりに日本的な”芸術家”

マルセル・デュシャン1887-1968
Henri Robert Marcel DUCHAMP

「マルセル・デュシャン論」
(オクタビオ・パス)
-作品概念をぶっ壊した男-

<ピカソとデュシャン>
「近代絵画は、マルセル・デュシャンとパブロ・
ピカソという両極の間で生きてきた。この二人
はおそらく今世紀にもっとも大きな影響を及ぼし
た画家であった。」

マルセル・デュシャン論

<レディーメイド>
「デュシャンは<無関心>の美以外の美には興味
がない。」

「絶対に興味をひかない物体を選ぶことはむずか
しい。」

「<レディーメイド>は趣味の批判であると同じ
ほど品物(オブジェ)の批判であった。」

「<レディーメイド>は精神のゼロ地帯に定住す
る。・・・自分自身に向けられ、自分を反駁する
ニヒリズム。虚無を即位させ、ひとたび王座につ
くや、それを否定し自分自身を否定するのだ。
それは芸術行為ではなく、内的解放の行為の発明
である。「大般若経」の中ではこういわれている
--われわれの各々が菩薩は非・実体、空虚な名で
あることをわきまえながら、菩薩の幸福な状態を
獲得するよう努力しなければならない。それこそ
デュシャンが無関心の美と呼ぶものだ。」
(私注:デュシャンの無関心の美とは、末期の眼
(芥川龍之介は死を前にして、「自然はこういう
僕にはいつもよりいっそう美しい」と言った。
-末期の眼)にとても近い。それは、禅的な眼で
もある。)

<芸術の破局>
「アンドレ・ブルトンはある日、デュシャンの絵
画放棄をランボーの詩への決別にたとえた。」
(私注:詩を捨てた唯一の”詩人”がランボーである)

<芸術の目的>
「芸術活動の目的は作品ではなく自由であるとい
うことなのだ」

<デュシャンとは>
「デュシャンの芸術が公的であるのは、彼が「<精
神>に仕える」芸術の伝統を更新せんとするからだ。」


panse280
posted at 00:22

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