2004年08月27日
芸術がわからない人へ
岡本太郎1911-1996
taro okamoto
「今日の芸術」
この本は赤瀬川原平氏を「前衛の道」に
そそのかした本である。
また、芸術についてもっとも率直にかか
れた本のひとつである。
今日の芸術
taro okamoto
「今日の芸術」
この本は赤瀬川原平氏を「前衛の道」に
そそのかした本である。
また、芸術についてもっとも率直にかか
れた本のひとつである。
今日の芸術
<芸術の力>
「きれいでもないし、うまいとも思えない、
だからわからないという絵が、もしほんとう
に、すぐれた作品だったら、わからないなが
らも、それにふれたつぎの瞬間から、心の目
がひらけてきます。
じじつ奇妙と思われる、新しい絵を見てから、
今まで安心して楽しんでいたふつうの絵がな
にかつまらなく見えてきたという人が多いの
です。
人は気がつかないでいるかもしれないが、芸
術は生活に物理的といえるほど強大な力と変
化を与えるのです。
知らないあいだに、すべてのものの見方、人
生観、生活感情が根底から引っくりかえり、
今まで、常識や型にしたがって疑いもしな
かった周囲が、突然なまなましく新鮮な光に
かがやきはじめます。
自分では、あくまでわからないと思いこんで
いても、すでに正しく理解しているのです。」
<芸術がわからない、という人へ>
「自分には芸術がほんとうにいいか悪いかわ
からないという人は、ずいぶんいます。
・・・・
自分を失っては、どれほど勉強しても、知識
をとり入れても、絶対に理解には到達できま
せん。
・・・・
いつでも自分自身で率直に見るということが
第一の条件です。そして何かを発見すれば、
それはまず、あなたにとって価値なのです。
・・・・
白紙でどんどんぶつかっていき、それによって
古いおのれを脱皮し、精神を高めていくべき
です。今まで、よいと思っていたものが案外
つまらなくなり、かえって無関心だったもの
に急に情熱がわいてきたりします。
・・・・
創造と鑑賞は永遠の追っかけっこです。この
ばく進のなかに芸術と、その鑑賞の価値があ
るので、とどまって固定的に理解されるもの
ではないのです。
だから、虚栄心からわかったようなポーズを
とる必要もないし、またわからないから自分
には鑑賞能力がないなどと早のみこみして悲
観したり、自分とは無縁なものとして敬遠し
てしまってはならないのです。」
「きれいでもないし、うまいとも思えない、
だからわからないという絵が、もしほんとう
に、すぐれた作品だったら、わからないなが
らも、それにふれたつぎの瞬間から、心の目
がひらけてきます。
じじつ奇妙と思われる、新しい絵を見てから、
今まで安心して楽しんでいたふつうの絵がな
にかつまらなく見えてきたという人が多いの
です。
人は気がつかないでいるかもしれないが、芸
術は生活に物理的といえるほど強大な力と変
化を与えるのです。
知らないあいだに、すべてのものの見方、人
生観、生活感情が根底から引っくりかえり、
今まで、常識や型にしたがって疑いもしな
かった周囲が、突然なまなましく新鮮な光に
かがやきはじめます。
自分では、あくまでわからないと思いこんで
いても、すでに正しく理解しているのです。」
<芸術がわからない、という人へ>
「自分には芸術がほんとうにいいか悪いかわ
からないという人は、ずいぶんいます。
・・・・
自分を失っては、どれほど勉強しても、知識
をとり入れても、絶対に理解には到達できま
せん。
・・・・
いつでも自分自身で率直に見るということが
第一の条件です。そして何かを発見すれば、
それはまず、あなたにとって価値なのです。
・・・・
白紙でどんどんぶつかっていき、それによって
古いおのれを脱皮し、精神を高めていくべき
です。今まで、よいと思っていたものが案外
つまらなくなり、かえって無関心だったもの
に急に情熱がわいてきたりします。
・・・・
創造と鑑賞は永遠の追っかけっこです。この
ばく進のなかに芸術と、その鑑賞の価値があ
るので、とどまって固定的に理解されるもの
ではないのです。
だから、虚栄心からわかったようなポーズを
とる必要もないし、またわからないから自分
には鑑賞能力がないなどと早のみこみして悲
観したり、自分とは無縁なものとして敬遠し
てしまってはならないのです。」