2004年08月22日

司馬遼太郎の仏教小論

司馬遼太郎1923-1996
ryotaro shiba

「日本仏教小論&浄土」

死に臨んで伝統的な仏教儀式を拒否し
ようと思っている浄土真宗の不熱心な
信者である司馬さんの仏教論。

「釈迦とにっての最高の観念は、神で
はなく、空(くう)でした。その修行
法はみずから空になることによって解
脱しようとしました。」

以下、無用のことながら

<大乗仏教の誕生>
「「釈迦は解脱つまりサトリの方法を
教えたが、とても自分たち平凡な者が
サトリをひらけるものではない。それ
よりもサトリをひらいた人をほめたた
え、礼拝しよう」というのが大乗仏教
の出発点でした。」

<真理=空=菩薩>
「真理、つまり空(くう)に、一種の
人格をあたえ、菩薩とか如来とかとい
う名をつけ、それを讃え、ひとびとは
ひれ伏したのです。」

<密教は釈迦とは無縁>
「(密教のルーツは)釈迦とはまった
く無縁のものであったでしょう。・・
密教にあっては俗世での欲望を保持し
たまま悟りをひらくことができるとい
うのです。」

<悪人とは親鸞である>
「親鸞のいう「善人」とは、私の解釈
では、うまれつき生存上の欲望がすく
なく、ずばぬけた頭脳と体力、精神力
をもった人という意味です。・・・・
当時の仏教は、凡庸な人間は地獄に堕
ちるとされていました。
親鸞の用語では、解脱が可能ではない
生まれつきの人を、自分をふくめて、
「悪人」とよんだのです。」

<他力=GOD>
「他力というのは大文字のゴッドのこ
とで、つまり阿弥陀如来のことです。」

<無資格僧侶=上人>
「正規の僧侶でない人を、敬称をつけて、
「上人(しょうにん)」と呼ぶのです。」

<聖=乞食坊主>
「(親鸞上人は)ときに聖人(しょうにん)
と書きます。聖(ひじり)と言うのは
乞食坊主のことです。」

<正規の坊主は葬式をやらない>
「日本の仏教は正規のお坊さんが、葬式
の主役であったことは本来ないんです。
だいたい仏教に、葬式というものはあり
ません。」

「葬式をするお坊さんというのは、非僧
非俗の人、さっきのお上人でした。・・・
私は鎌倉以後は非僧非俗のほうが日本仏教
の正統だったと思います。」

<葬式に念仏はいらない>
「葬式に念仏をつかうというのは、親鸞の
本来の思想ではなかったのです。しかし、
葬式はやはり大教団としては浄土真宗から
はじまる、といわざるをえません。」

<政治的に位を得た浄土真宗>
「本願寺は貧乏している京都の御所に金を
だしまして、門跡(もんぜき)の位をもら
います。・・・(つまり)公卿になったわ
けです。」以後政治的に非僧非俗であるこ
とが終わったわけです。


panse280
posted at 17:38

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