2004年05月14日

菊池寛015

菊池寛1888-1948
kan kikuchi

「剣聖武蔵伝(菊池寛)」


武蔵に関しては、正確な記録はない。
菊池寛は「独行道」「兵法三十五ヶ条」
「五輪書」等の熟読から、直木氏
と”武蔵”論争をした。

「昭和の初めころでさへ、宮本武蔵は
名のみが知られているだけで、その実は
殆ど知られていなかった。
これほど偉い武芸者が、わが国にもいた
のだと、われわれに教えてくれたのは、
菊池さんで、直木さんとの論争はあざやか
だった。」(小林秀雄)

剣聖武蔵伝


「直木氏の説では、武蔵といふ人は、後世の
通俗的な感傷によって飛んだ人物に祭り上げ
られてしまっているが、実は大した男ではない。
偉い兵法家といふものは、当時にすれば、
例えば、上泉伊勢守の様な人物を言ふので、
人殺しで人気を取った様な人物ではない筈
である。
第一、兵法流行の世に武蔵の得た社会的
地位を見ただけで、明瞭だ。
晩年になってやっと田舎藩主の知遇を得た
くらいが、彼相応の処である、と言ふ。」

「これに対して、菊池氏は、上泉某と武蔵
とが仕合をしたらどちらが勝ったか、そんな
事はわからぬ。
ただ二人が書き遺した文章を比べてみれば、
一目瞭然ではないか。「独行道」中の数句
のごときものを、徳川時代を通じて一体誰
に書けるか。と」

菊池氏は、物書きのプロとしての
プライドをかけて、文章から人物を
推察したのである。

「武蔵の「独行道」では、「一生欲心なし、
居宅に望みなし、老後財宝所領に望みなし、
と断ってあるように常に世俗的な欲心を
断絶しようと考えていたらしい。」


panse280
posted at 19:35

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