2004年08月16日
文武両道の文体とは
三島由紀夫1925-1970
yukio mishima
「太陽と鉄」
三島氏が割腹自殺をとげたとき、ある外国
メディアは、ヘミングウェイと比較した。
両者の共通項は「文武両道」である。
「「文武両道」には・・・死の原理の最終
的な破綻と、生の原理の最終的な破綻とを、
一身に擁して自若としていなければならぬ。」
永遠に調和することのない「文武両道」に
生きた彼等の文体は、簡素と格式である。
”武家屋敷の玄関の式台のような文体”は
それだけで、背筋を伸ばし、死への覚悟に
私を駆り立てる。
太陽と鉄
yukio mishima
「太陽と鉄」
三島氏が割腹自殺をとげたとき、ある外国
メディアは、ヘミングウェイと比較した。
両者の共通項は「文武両道」である。
「「文武両道」には・・・死の原理の最終
的な破綻と、生の原理の最終的な破綻とを、
一身に擁して自若としていなければならぬ。」
永遠に調和することのない「文武両道」に
生きた彼等の文体は、簡素と格式である。
”武家屋敷の玄関の式台のような文体”は
それだけで、背筋を伸ばし、死への覚悟に
私を駆り立てる。
太陽と鉄
<文体>
「私は単に機能的な文体というものを、
単に感覚的な文体と同様に愛さなかった。」
「私は何よりも格式を重んじ、冬の日の
武家屋敷の玄関の式台のような文体を好
んだのである。」
「私の文体はつねに軍人のように胸を張って
いた。そして、背をかがめたり、身を斜めに
したり、膝を曲げたり、甚だしいのは腰を振
ったりしている他人の文体を軽蔑した。
姿勢を崩さなければ見えない真実がこの世に
はあることを、私とて知らぬではない。
しかしそれは他人に委せておけばすむことだ
った。」
「私は単に機能的な文体というものを、
単に感覚的な文体と同様に愛さなかった。」
「私は何よりも格式を重んじ、冬の日の
武家屋敷の玄関の式台のような文体を好
んだのである。」
「私の文体はつねに軍人のように胸を張って
いた。そして、背をかがめたり、身を斜めに
したり、膝を曲げたり、甚だしいのは腰を振
ったりしている他人の文体を軽蔑した。
姿勢を崩さなければ見えない真実がこの世に
はあることを、私とて知らぬではない。
しかしそれは他人に委せておけばすむことだ
った。」