2017年09月07日

デカルト

「思想の歴史7 」(1)
--市民社会の成立-
野田又夫編

1970.10.17 初版3刷発行(平凡社)

<デカルト>
デカルト(1596-1650)は1629年オランダに移住
し、その後20年間ほんんどこの地ですごした。
「方法序説」が書かれたのはこのオランダで、
1637年に出版された。日本の平戸に商館ができた
のは1609年だ。日本は当時ヨーロッパの最先端の
国と接触していたのだ。
17世紀の書物の多くはオランダで出版された。
オランダの繁栄をささえていたのは、武士でも
僧侶でもなく、一般市民だった。文化と学芸が
花開き、ホイヘンスの物理学や株式会社もあり、
他国の画家が宮廷人を描くのに、オランダでは
一般市民を描くのだ。

「アムステルダム、多数の人々のいる町で得られる
生活の便宜のすべてをうけつつ、孤独で隠れた生活
を送ることができる。」(デカルト)

1533-92年 モンテーニュ
1656年 スピノザ、ユダヤ教会から破門される。
1662年 パスカル没す。
1683年 ロック、オランダに亡命。

デカルトは1619年、「驚くべき学問の基礎」を発見
したと、日記に書いた。それは「自分で考えるという
事の意味」がわかったのである。

デカルトの方法は、ソクラテス、プラトン、モンテーニュ
の方法でもあった。

デカルトの長所は科学発展であり、短所は二元論を
西洋において、決定したこと。

スピノザが教会から破門されたのは、デカルトに
熱中しすぎたために教会を批判するようになったため。

panse280
posted at 07:22

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