2017年02月09日

光明皇后701-760

「逆・日本史」(6)
(貴族の時代)
樋口清之   
kiyoyuki higuchi 1909-1997

2005.6.10 第5刷発行(祥伝社)

<光明皇后701-760>
光明皇后は聖武天皇の皇后。

平安遷都によって藤原氏の繁栄は決まったが、
その陰謀から目をそらすために道鏡を排斥した。
和気清麻呂も藤原氏に利用されたにすぎなかった。

聖武天皇に国分寺や東大寺を造営させた光明皇后と
藤原連合グループの真のねらいは、公有地を私有地
(荘園)にして天皇政府を弱体化することだった。

光明皇后の父は藤原不比等、不比等の父は藤原鎌足
で、光明皇后によって「天下の地ことごとく摂関家
(藤原氏)の領となる」といわれるほどの藤原氏全盛
時代が訪れたのである。

光明皇后から藤原道長・頼道にいたる藤原氏繁栄の
軌跡は、すでに鎌足・不比等の時代に準備されて
いたのである。

飛鳥時代(592-710)は男のほうが女よりもオシャレ
だった。原則的にいって、化粧とかオシャレは、地位
身分が低い者が、高い者に対して媚びるためにする
ものなのである。平安時代には、女が化粧をするよう
になり、男の寄生的存在となる。

panse280
posted at 07:09

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