2016年08月18日
近代の韓国
「地球日本史(3)」(9)
責任編集 西尾幹二 1935-
kanji nishio
2005.5.20 3刷発行(扶桑社)
<近代の韓国>
1862年、福沢諭吉は「日本には洋書を読んで
理解し、それを他人に教えることのできる人物
が何人いるか」という中国人学者の質問に、
「五百人はいるだろう」と答えている。
その学者は、中国では11人にすぎないと答えた
というが、李朝(韓国)ではほとんどゼロだった
のである。
李朝は、中国皇帝と並んで「皇」の称号を用いる
天皇を国王とする日本をけっして認めることが
できなかった。
李朝の誇りは、中国の一番弟子であることであった。
日本が李朝の親分である中国に仕えないことは
信じられないことであった。
責任編集 西尾幹二 1935-
kanji nishio
2005.5.20 3刷発行(扶桑社)
<近代の韓国>
1862年、福沢諭吉は「日本には洋書を読んで
理解し、それを他人に教えることのできる人物
が何人いるか」という中国人学者の質問に、
「五百人はいるだろう」と答えている。
その学者は、中国では11人にすぎないと答えた
というが、李朝(韓国)ではほとんどゼロだった
のである。
李朝は、中国皇帝と並んで「皇」の称号を用いる
天皇を国王とする日本をけっして認めることが
できなかった。
李朝の誇りは、中国の一番弟子であることであった。
日本が李朝の親分である中国に仕えないことは
信じられないことであった。