2016年08月13日
生麦事件
「地球日本史(3)」(4)
責任編集 西尾幹二 1935-
kanji nishio
2005.5.20 3刷発行(扶桑社)
<生麦事件>
生麦事件は、1862年9月14日に現・神奈川県横浜市
鶴見区生麦付近において、薩摩藩の実権者島津久光
の行列に乱入した騎馬のイギリス人を、供回りの
藩士が殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件である。
「公道を乗馬中に、冷血な殺人の犠牲になった」
(「タイムズ」1862.11月17日)
江戸を出る前から薩摩藩は、幕府にこう伝えて
いた。「近頃、外国人が馬上二、三列になって、
不作法に遊歩するそうで、往来で行き会い、万一、
先方が無礼法外なことをはたらいたときは、その
まますまされない場合もある」
(「日本を変えた薩摩人」芳即正)
イギリス知識人の限られた少数意見としては、
「日本の社会的習慣を踏みにじった」
(「デイリー・ニューズ」)
責任編集 西尾幹二 1935-
kanji nishio
2005.5.20 3刷発行(扶桑社)
<生麦事件>
生麦事件は、1862年9月14日に現・神奈川県横浜市
鶴見区生麦付近において、薩摩藩の実権者島津久光
の行列に乱入した騎馬のイギリス人を、供回りの
藩士が殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件である。
「公道を乗馬中に、冷血な殺人の犠牲になった」
(「タイムズ」1862.11月17日)
江戸を出る前から薩摩藩は、幕府にこう伝えて
いた。「近頃、外国人が馬上二、三列になって、
不作法に遊歩するそうで、往来で行き会い、万一、
先方が無礼法外なことをはたらいたときは、その
まますまされない場合もある」
(「日本を変えた薩摩人」芳即正)
イギリス知識人の限られた少数意見としては、
「日本の社会的習慣を踏みにじった」
(「デイリー・ニューズ」)