2016年07月25日

中国(明)の滅亡

「地球日本史(2)」(3)

責任編集 西尾幹二 1935-
kanji nishio

2005.5.20 2刷発行(扶桑社)

<中国(明)の滅亡>
明(1368-1644)が韃靼族に滅ぼされ、清朝に
なってからは、日本の中国に対する意識は
対等から優越へと転じた。

明からの救援要請や、明の知識人の日本亡命
が優越感をさらに強めた。

アジアの中心はもはや中国ではありえないとの
確信が高まった。

実はその前にも、日本は明の弱さに驚いていた。

世界最強の軍隊を持った秀吉は朝鮮・中国へ出兵した。
「文禄・慶長の役(1592-1593,1597-1598秀吉の死を
もって終了)」この戦争は、16世紀における世界最大
規模の戦争でした。
日本軍は名護屋他滞在が10万、朝鮮出兵が20万人。
日本軍は一番隊から九番隊までと、水軍がある。
一番隊の宗義智と小西行長は700艘の大小軍船で対馬・
大浦を出発し、午後2時過ぎに釜山に上陸した。・・・

この戦争は、兵士、武器において圧倒的な差がありました。
「明史」においても「明国と朝鮮に勝機はまるでなかった」
と書いている。また、「火縄銃も恐ろしいが、もっと恐ろ
しいのは日本刀」と書いている。日本刀は相手を、相手の
刀ごとぶった切ったので、相手の怯えは尋常ではなかった。

その他、相手は、粗末な武器同様、武器の扱いが慣れて
いないために全く戦いにならなかった。

この戦争は、西欧社会に噂ではない現実的な衝撃を与え
たことだろう。何故なら、無数の鉄砲、切れすぎる日本刀、
武士の勇敢さと熟練された技能、それに無数の船と無数の
武士、また武器開発の早さと精度の良さ、などなどを実戦
を見聞した結果、日本と喧嘩するのは得策ではないと判断
した結果、西欧はその後、300年間も日本に手をだせなかった。

panse280
posted at 10:44

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