2016年07月19日

政治利用された「赤穂浪士」事件

「地球日本史(1)」(28)

責任編集 西尾幹二 1935-
kanji nishio

2005.5.20 3刷発行(扶桑社)

<政治利用された「赤穂浪士」事件>
元禄バブルが崩壊し、世間が混乱しているとき、
「赤穂浪士事件」がおこった。

幕府はこれを「忠君愛国」物語として政治利用した。

私達が知っている「赤穂浪士」は、作り話である。

まず、事件現場は「松の廊下」ではなく、「柳の間の廊下」
である。だいたい「松の廊下」は赤穂の浅野氏のような外
様大名、それも支藩の主の通れるようなところではなく、
将軍が大広間に出座するときの通路である。

また、浅野が吉良に切りつけたのは、背後からであった。

浅野は女好きの政治無関心男で、吉良は無類の愛妻家で
性格は正反対だった。吉良を治療した医者の栗崎の記録
に「浅野長矩はかねてから吉良義央を何となくけむたく
思っていた、両人は相性が悪かった」と書いている。

幕府が赤穂側に切腹という甘い処置をしたのは、バブル
崩壊後の世間の引き締め策だったといわれている。

当時、切腹は武士の礼にかなった処罰だとみなされていた
ので、浅野内匠頭は切腹を言いつけられた事に礼を言った
上で切腹をした。

余談:
「義士」論争
「仇討ち」というのは目上の親族の為に復讐する事で、
主君の仇を討ったのは本事件が初めてである為に論争になった。

平和な時代が百年近く続いた元禄の世において、すでに過去
のものになりつつあった武士道に民衆は喝采した。

赤穂事件の47年後に作られた人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」
以後、赤穂事件を扱った創作物は忠臣蔵と呼ばれるように
なった。


panse280
posted at 19:42

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