2016年06月04日
お茶でもどうぞ
「男の禅語」(5)
平井正修 1967-
shousyu hirai
2016.6.10 1刷発行(知的生きかた文庫)
<喫茶去(きっさこ)>
--お茶でもどうぞ--
喫茶去は「茶礼」です。
その意味は、「一人で生きていくこと」
と「一人ではいきられないこと」という
矛盾の和合です。
人の家に行ったときに、「茶」が出されます。
飲まないで帰る人もいます。
中には、マズイ茶だったと悪口を言う人もいます。
高齢の人は、「おかげさま」という言葉をよく
使います。若い時には、他人の世話にはならねえ、
と粋がる人も、時がたてば、世の中は一人では
生きられないとしみじみ語ります。
もし、人の家に行ったとき、水も出されなければ、
ある緊張が走ります。たかが水、たかが茶ですが、
それは、相手と自分の和合の礼なのです。
スマホでは、お茶が飲めないのが残念です。
平井正修 1967-
shousyu hirai
2016.6.10 1刷発行(知的生きかた文庫)
<喫茶去(きっさこ)>
--お茶でもどうぞ--
喫茶去は「茶礼」です。
その意味は、「一人で生きていくこと」
と「一人ではいきられないこと」という
矛盾の和合です。
人の家に行ったときに、「茶」が出されます。
飲まないで帰る人もいます。
中には、マズイ茶だったと悪口を言う人もいます。
高齢の人は、「おかげさま」という言葉をよく
使います。若い時には、他人の世話にはならねえ、
と粋がる人も、時がたてば、世の中は一人では
生きられないとしみじみ語ります。
もし、人の家に行ったとき、水も出されなければ、
ある緊張が走ります。たかが水、たかが茶ですが、
それは、相手と自分の和合の礼なのです。
スマホでは、お茶が飲めないのが残念です。