2016年02月13日

示現流への誤解

「薩南示現流」(1)
津本陽 1929-
you tsumoto

2006.2.10 新装版第1刷発行(文春文庫)

<示現流への誤解>
示現流といっても、複数ある。
私が何となく知っている示現流は、幕末期、島津斉彬
が薬丸自顕(じげん)流の稽古を見た際に、「まるで
気が狂った輩の剣術だ」と侮ったと云われているものだ。

これは、新撰組にも恐れられたけれど、とるに足らない
狂犬の剣法だ。

本来の示現流とは初代東郷重位(1561-1643,82才没)の
ものだけだろう。

東郷重位が28才で善吉和尚22才と立ち会ったとき、
気づいたら、やられていた。何が起きたのか、眼に
見えなかったのである。

流祖の東郷重位は、元々はタイ(体・待・対・太)捨流
(薩摩藩の流派)を学んでいたが、京都で善吉和尚より
天真正自顕流を相伝し、両流派の利点を創意工夫した上
で新流派を立てた。

タイ捨流は丸目蔵人(新陰流を創始した上泉伊勢守秀綱の
弟子)が創設した流派である。

panse280
posted at 07:41

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