2015年09月14日
足利幕府を承認せず
「物語日本史(中)」(15)
平泉澄 1895-1984
kiyoshi hiraizumi
1995.10.25 第23刷発行(講談社学術文庫)
初版は1970年出版の「少年日本史」(平泉氏76歳)
<足利幕府を承認せず>
ついに鎌倉幕府を倒したと思ったら、その途端に
足利高氏の謀反がはじまりました。
足利と手をつなげば、天皇はすぐに京都に帰れた
はずですが、天皇はどんなに苦しくても足利を許せず、
幕府を承認しませんでした。
以後四代57年間、天皇は新田・楠木・名和・菊池
を見捨てて、足利と手を握らず、吉野の山の中に、
侘しい月日を送られたのです。
日本の国柄を考えるうえに、日本の歴史をかえり
みるうえに、最も重要な点です。
「太平記」は誰が作ったのか、わかりませんが、足利
の勢力の強い時に当って、足利を逆臣とし、楠木正成
に絶賛の辞を惜しまなかった勇気は立派なものです。
平泉澄 1895-1984
kiyoshi hiraizumi
1995.10.25 第23刷発行(講談社学術文庫)
初版は1970年出版の「少年日本史」(平泉氏76歳)
<足利幕府を承認せず>
ついに鎌倉幕府を倒したと思ったら、その途端に
足利高氏の謀反がはじまりました。
足利と手をつなげば、天皇はすぐに京都に帰れた
はずですが、天皇はどんなに苦しくても足利を許せず、
幕府を承認しませんでした。
以後四代57年間、天皇は新田・楠木・名和・菊池
を見捨てて、足利と手を握らず、吉野の山の中に、
侘しい月日を送られたのです。
日本の国柄を考えるうえに、日本の歴史をかえり
みるうえに、最も重要な点です。
「太平記」は誰が作ったのか、わかりませんが、足利
の勢力の強い時に当って、足利を逆臣とし、楠木正成
に絶賛の辞を惜しまなかった勇気は立派なものです。