2015年08月06日

日本歴史書の始まり

「物語日本史(上)」(3)

平泉澄 1895-1984
kiyoshi hiraizumi

1998.6.22 第31刷発行(講談社学術文庫)
初版は1970年出版の「少年日本史」(平泉氏76歳)

<日本歴史書の始まり>
神武天皇の頃には日本に文字がありませんでした。

我が国の歴史をまとめようとされたのは、推古天皇
の28年に、聖徳太子が、天皇記・国記その他を作った
のが最初です。

西暦で歴史に登場するのは第32代崇峻天皇5年(592年)11月3日。

「古事記」712年
「日本書紀」720年

<年立ての混乱はどうしておこったのか?>
(古事記では神武天皇が168歳、日本書紀では
120歳。等など)
これは後漢の世に流行した「讖緯(しんい)の学」
を応用したために起こったにちがいありません。
讖緯の学では、

1)辛酉の年は、人生の大きな変り目であること。
2)1260年を単位として、歴史の時代は転換すること。

この推理に基づいて、日本書紀の年立てが行われ、

1)神武天皇の御即位は、皇紀元年辛酉の年。
2)推古天皇の八年庚申は皇紀1260年で、時代は
大きな変わり目に達し
3)翌9年辛酉の年は、新しい時代の出発点となった。

と整理されたことでしょう。
実際の事実は、これとは違っていたでしょう。
どう違っていたかといえば、神武天皇の御代と、
推古天皇の御代との間隔が、それほど長くなかった
のです。長くないものを、長いとしたために、
御歴代天皇の御寿命も、その御代に活躍した人物の
命も、引き延ばして長くして、ともかくも話が
合うように、まとめねばならなくなったのです。
・・・
我が国の歴史は、年立ての誤りで、間延びして
いますが、事実そのものには手をふれていません。
もし手を入れたとすれば、神武天皇より推古天皇
まで、33代であるものを、十数代ふやせば、御寿命
にも無理がなく、万事辻褄が合ったでしょう。

panse280
posted at 08:04

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