2015年07月07日

草枕

「草枕」(1)

夏目漱石 1867-1916
sohseki natsume

2006.5.20 第131刷発行(新潮文庫)
--漱石の文章を味わってみる--

<巻頭の名文>

「山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、
画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、
越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所を
どれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住み
よくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、
ここに画家という使命が降る。

あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かに
するが故に尊とい。

住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、
ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、
画である。あるは音楽と彫刻である。

こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、
そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも
「きゅうそうの音」は胸裏に起る。
丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。

ただおのが住む世を、かく観じ得て、「霊台方寸のカメラ」に
「澆季溷濁(ぎょうきこんだく)」の俗界を清くうららかに
収め得れば足る。

この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には「せっけん」
なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱する
の点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの
「不同不二の乾坤」を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆
を掃蕩するの点において、

「千金の子」よりも、「万乗の君」よりも、
あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。

世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。
二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所には
きっと影がさすと悟った。

三十の今日はこう思うている。喜びの深きとき憂いよいよ深く、
楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとする
と身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。

金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。
恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって
恋しかろ。

閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下が
おぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。
少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。」

注)
「きゅうそうの音」:玉で作ったケイの鳴る美しい音。
「霊台方寸のカメラ」:心の事。
「澆季溷濁(ぎょうきこんだく)」:道徳の乱れた末世
「せっけん」:絹の画布(キャンバス)
「不同不二の乾坤」:芸術の世界
「千金の子」:大金持ち
「万乗の君」:国王

panse280
posted at 21:33

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