2014年12月26日
小林一茶
「小林一茶」
松尾芭蕉(1644-1694)
与謝蕪村(1716-1783)
小林一茶(1763-1827)
---------------------
芭蕉が没して、22年して蕪村が生まれ、その47年後
に一茶が生まれた。一茶20歳の時、蕪村没す。
芭蕉50歳、蕪村67歳、一茶64歳で没す。
一茶は長野県に生まれ3歳の時に生母を失い、8歳で
継母を迎える。継母に馴染めず、14歳の時、江戸へ
奉公に出る。
25歳のとき小林竹阿に師事して俳諧を学ぶ。
藤沢周平著「一茶」では、小林竹阿には実際会った
こともなく、弟子というのは一茶の詐称との記述がある。
29歳、故郷に帰り、翌年より36歳の年まで俳諧の修行
のため近畿・四国・九州を歴遊する。
39歳、帰省。病気の父を看病したが1ヶ月ほど後に死去、
以後遺産相続の件で継母と12年間争う。
52歳,28歳の妻きくを娶り、3男1女をもうけるが何れも
幼くして亡くす。きくも37歳の生涯を閉じた。
62歳で2番目の妻を迎えるが半年で離婚する。
64歳で結婚した3番目の妻やをとの間に1女・やたをもう
けるが、子を見ずに死去64歳。
大火にあい、焼け残った土蔵で生活、その土蔵の中で
64年半の生涯を閉じた。法名は釈一茶不退位。
正岡子規は「俳人一茶」(1897)の「一茶の俳句を評す」
の中で「俳句の実質に於ける一茶の特色は、主として
滑稽、諷刺、慈愛の三点にあり。」と述べている。
一茶のつくった句は約22,000句。
芭蕉約1,000句、蕪村約3,000句。
平成に発見された一茶の句
猫の子が手でおとす也耳の雪(2010年2月)
松尾芭蕉(1644-1694)
与謝蕪村(1716-1783)
小林一茶(1763-1827)
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芭蕉が没して、22年して蕪村が生まれ、その47年後
に一茶が生まれた。一茶20歳の時、蕪村没す。
芭蕉50歳、蕪村67歳、一茶64歳で没す。
一茶は長野県に生まれ3歳の時に生母を失い、8歳で
継母を迎える。継母に馴染めず、14歳の時、江戸へ
奉公に出る。
25歳のとき小林竹阿に師事して俳諧を学ぶ。
藤沢周平著「一茶」では、小林竹阿には実際会った
こともなく、弟子というのは一茶の詐称との記述がある。
29歳、故郷に帰り、翌年より36歳の年まで俳諧の修行
のため近畿・四国・九州を歴遊する。
39歳、帰省。病気の父を看病したが1ヶ月ほど後に死去、
以後遺産相続の件で継母と12年間争う。
52歳,28歳の妻きくを娶り、3男1女をもうけるが何れも
幼くして亡くす。きくも37歳の生涯を閉じた。
62歳で2番目の妻を迎えるが半年で離婚する。
64歳で結婚した3番目の妻やをとの間に1女・やたをもう
けるが、子を見ずに死去64歳。
大火にあい、焼け残った土蔵で生活、その土蔵の中で
64年半の生涯を閉じた。法名は釈一茶不退位。
正岡子規は「俳人一茶」(1897)の「一茶の俳句を評す」
の中で「俳句の実質に於ける一茶の特色は、主として
滑稽、諷刺、慈愛の三点にあり。」と述べている。
一茶のつくった句は約22,000句。
芭蕉約1,000句、蕪村約3,000句。
平成に発見された一茶の句
猫の子が手でおとす也耳の雪(2010年2月)