2014年12月15日
芭蕉ものがたり
「芭蕉ものがたり」(1)
楠木しげお 1946-
shigeo kusunoki
2009.4.10 第6刷発行(銀の鈴社)
<俳句のはじまり>
「俳諧」から「おかしみ」をぬきとり、純粋な詩に
まで高めたのが芭蕉なのです。
金作(芭蕉)は伊賀上野、藤堂藩の城下町に農民に
近い下級武士の次男坊として1644年に生まれた。
俳諧の遊びが、当主の息子、良忠(芭蕉の2歳上)の
目にとまり遊び相手として台所用人として召し抱え
られた。宋房(芭蕉)19歳の時である。
良忠が25歳で没すると、宋房(芭蕉)は家にさがった。
芭蕉は京都に国学、漢学の勉強に出る。
29歳で江戸に出て俳諧を学ぶため季吟門下に入り、
名を桃青(芭蕉)と改めた。
季吟門下には山口素堂(芭蕉の2歳上)がいた。
<目には青葉山ほととぎす初鰹>素堂
楠木しげお 1946-
shigeo kusunoki
2009.4.10 第6刷発行(銀の鈴社)
<俳句のはじまり>
「俳諧」から「おかしみ」をぬきとり、純粋な詩に
まで高めたのが芭蕉なのです。
金作(芭蕉)は伊賀上野、藤堂藩の城下町に農民に
近い下級武士の次男坊として1644年に生まれた。
俳諧の遊びが、当主の息子、良忠(芭蕉の2歳上)の
目にとまり遊び相手として台所用人として召し抱え
られた。宋房(芭蕉)19歳の時である。
良忠が25歳で没すると、宋房(芭蕉)は家にさがった。
芭蕉は京都に国学、漢学の勉強に出る。
29歳で江戸に出て俳諧を学ぶため季吟門下に入り、
名を桃青(芭蕉)と改めた。
季吟門下には山口素堂(芭蕉の2歳上)がいた。
<目には青葉山ほととぎす初鰹>素堂