2014年11月28日

法然、親鸞、一遍

「南無阿弥陀仏」(33)

柳宗悦  1889-1961
nuneyoshi yanagi

1991.8.6 第2刷発行(岩波文庫)

<法然、親鸞、一遍>
法然は僧であった。浄土門を開き、終生、戒律を
守り、浄土門を法的として罵った明恵でさえも、
法然を尊敬した。彼の智慧と行動は多くの優れた
門弟を彼の周囲にあつめた。

親鸞は僧ではない。非僧であることの意義を終生
考え、悩み続けた。
浄土真宗に僧はない。それが親鸞の教えである。
浄土真宗に寺はない。それが親鸞の教えである。
在家のままで、道場があればよい。そこに真宗の
面目がある。
非僧非俗こそ真宗の骨髄なのである。
親鸞は一人の弟子ももたず、同胞がいたのみである。
晩年においても庵も建てず、ただ寄寓に身をまかせ
たのである。

一遍は37歳の時、熊野詣で、お告げをうけてから、
日本全国を遍歴した。彼は僧でもなく、俗でも
なかった。彼は住むべき場所を捨てて遍歴を続けた。
人々は彼を「捨聖」と呼んだ。
一遍は「念仏の機に三品」ありとし、
「上」は、妻帯、住家して往生する者
「中」は、妻帯をせずに、住家して往生する者
「下」は、万事を捨てて、往生する者
とした。この一遍の分類から察すると、
「上」は親鸞、「中」は法然、「下」は一遍
ということになる。

浄土の法門を背負われた三人の上人が各々異なる
生活様式を選ばれたことは、意味深い。

panse280
posted at 15:26

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