2014年10月29日
日本の浄土門は極致である
「南無阿弥陀仏」(4)
柳宗悦 1889-1961
nuneyoshi yanagi
1991.8.6 第2刷発行(岩波文庫)
<日本の浄土門は極致である>
「私(柳)が浄土門に魅力を感じる所以は、その
固有性のみにあるのではない。その固有さを徹す
る時、普遍さに触れてくるが故である。」
日本の浄土門より更に偉大な浄土門を考え得ようか。
かかる浄土門を建設するために、法然、親鸞、一遍
の三大祖師が日本に与えられているのである。
「私(柳)は何も自他二道が始めから同一だと
主張するのではなく、異なることによってかえって
一つに即する所以に、驚嘆を覚えるのである。」
男女が分かれるのは、分かれたそのままがよいと
いうことではない。一つたるがための差異なので
ある。自他二道の差異とはそのようなものかも
しれない。
柳宗悦 1889-1961
nuneyoshi yanagi
1991.8.6 第2刷発行(岩波文庫)
<日本の浄土門は極致である>
「私(柳)が浄土門に魅力を感じる所以は、その
固有性のみにあるのではない。その固有さを徹す
る時、普遍さに触れてくるが故である。」
日本の浄土門より更に偉大な浄土門を考え得ようか。
かかる浄土門を建設するために、法然、親鸞、一遍
の三大祖師が日本に与えられているのである。
「私(柳)は何も自他二道が始めから同一だと
主張するのではなく、異なることによってかえって
一つに即する所以に、驚嘆を覚えるのである。」
男女が分かれるのは、分かれたそのままがよいと
いうことではない。一つたるがための差異なので
ある。自他二道の差異とはそのようなものかも
しれない。