2014年02月26日

信長の一生に、大いなる不覚が二度あった

「信長」(3)
--近代日本の曙と資本主義の精神--
小室直樹 1932-2010
naoki komuro
2010.6.2 第1刷発行 (株式会社ビジネス社)

<信長の一生に、大いなる不覚が二度あった>
「信長の一生に、大いなる不覚が二度あった。一度は
浅井長政の反覆にて、金ヶ崎退陣の難儀をした。」
(「近世日本国民史」徳富蘇峰)

金ヶ崎からの奇跡的脱出で信長は「不死身」となった。
松永久秀といえば、謀反人の代名詞。後に信長にも
二度までも謀反している。その久秀がこの時に限って
命がけで信長に忠義を尽くした。奇蹟である。
この時、久秀がいなかったら、歴史はどうなっていた
だろうか。

二度目の不覚は「本能寺」である。
信長は光秀の謀反に「是非に及ばずと、上意候。」
(「近世日本国民史」徳富蘇峰)

死地脱出の名人信長が、本能寺に限って、「脱出」は
少しも念頭になかった。
信長が「我が死屍の始末をつけた」ことの意味は大きい。
光秀が信長の首を手にし、晒したら信長のカリスマは
泥土にまみれて消滅してだろう。死体が見つからなかった
ことで、信長のカリスマは保全された。

秀吉ひいきで有名な徳富蘇峰は言う。
「秀吉はすべての事において、最も忠実なる信長の
相続人であった。」
信長はプランを作り、環境を整え、秀吉がそれらを
完成させたのである。

「世界精神として見ても、本能寺に於ける信長の行動
は、正に、完璧であった。」

panse280
posted at 20:31

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字