2014年02月03日

三島由紀夫

「連合国戦勝史観の虚妄」(9)
--英国人記者が見た--
ヘンリー・S・ストークス 1938-
Henry Scott-Stokes

2013.12.20 第2刷発行 (祥伝社新書)

<三島由紀夫>
三島にはじめて会った頃、三島は昭和天皇を唯一の
例外として、世界的に最も話題性に富んだ日本人だった。

三島は中曽根康弘など国会議員の紹介によって自衛隊
の将校と交流をもつようになっていた。

中曽根は三島に後援会での演説を依頼したが三島は
断っている。

三島は政治家への信頼を喪失していた。三島は右翼に
も期待していなかった。

三島にとって宮崎正弘は貴重な存在だった。当時は
早稲田の学生で、保守系学生運動を指導し、機関誌
の編集長をしていた。森田必勝を三島に紹介したの
も、宮崎だった。

三島は「春の雪」を書き終えると、自衛隊における
訓練を開始した。「奔馬」を書き終えると、「楯の会」
を結成した。「暁の寺」を書き終えると、5人の仲間
を選んだ。「天人五衰」は事件当日書き上げている。
実際に書き終えたのは、その夏だった。三島はこの
作品を早く、ドナルド・キーンに読ませたかったのだ。

三島の自殺後、堤清二からお茶にさそわれた。
三島は堤と親しかった。堤の会社に行くと、小柄な男
が座っていた。児玉誉志夫だった。話は三島と志、同じく
日本の現状を何とかしたい、というものだった。

panse280
posted at 21:05

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字