2013年12月14日

小林秀雄と中野重治

「小林秀雄の哲学」(10)
高橋昌一郎 1959-
syoichiro takahashi
2013.9.30 第1刷発行 (朝日新書)

<中野重治>
戦後、小林の戦争責任追及の急先鋒になったのは、
中野重治である。中野は小林と同じ年生まれである。

小林は言う「(僕のことを)仕事の根本に非合理主義を
置いている批評家だと君(中野)はいう。しかし僕には
非合理主義の世界観というような確乎たる世界観なぞな
いのだ。
・・・
第一日本の近代批評がはじまって以来、僕等は合理主義
と非合理主義の間の深刻な争いなどというものも一度も
経験しはしなかった。
・・・
原理はまことに簡明なのである。・・まして非合理主義
だなぞといわれてもおかしくなるくらいである。」
(「中野重治君へ」1936)

1947年中野は参議院選挙に日本共産党から立候補した。
ある夜、神田のバーで小林、青山、石原龍一が飲んで
いるところへ中野が偶然入ってきた。小林は「なぜおまえ
さんは参議議員なんてバカなものに立候補したんだ」と
からんだ。二言三言の応酬の後、中野が小林の顔を、おも
いきり殴った。青山が笑いながら止めたので大事には
いたらなかった。
小林は「バカ、お前はそそっかしくていけない。人の話は
最後まで聞くもんだ。・・・君のように、詩人としてこれ
ほどすぐれた才能を持った人間が、どうして政治家になろう
とするのか。詩人中野重治を失うことが日本の文学にとって
どれほど痛手になるか」と中野に言った。
しばらくすると中野は、「おれが悪かった」と小林の手を
握って泣き出したという。(吉田「レクイエム小林秀雄」)

panse280
posted at 20:10

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