2013年11月20日

「甲陽軍艦(1575)」小幡景憲

「武士道入門」(9)
山本博文 1957-
2006.9.9 第1刷発行 (中経文庫)

<「甲陽軍艦(1575)」小幡景憲>
--武士の生き方と大将のあり方--

「甲陽軍艦」は甲斐(武田信玄)の軍学書で、
山鹿素行の師、小幡景憲の編によるもの。

「武士の喧嘩は命がけの事」
赤口(56歳)と寺川(40歳余り)が喧嘩した。
喧嘩は赤口が寺川を押さえつけて終わった。
武田信玄は、武士の喧嘩は、死で決着すべしと
2人の耳と鼻を切り取って、家臣たちに見せ、
国外へ追放する途中で2人の首を切った。

「甲陽軍艦」に第17ヶ条「喧嘩両成敗法」がある。

この喧嘩が江戸時代の「天下の大法」である
「喧嘩両成敗法」のきっかけになったとされている。

「喧嘩は理非によらず双方成敗すると伝えよ」

「喧嘩両成敗法」によって「武士は侮辱を我慢する
臆病者になる」という議論が起こり多少の修正は
あったが、いずれにしても、事を構えるには死を
覚悟せよ、という暗黙の了解が武士に浸透した。


panse280
posted at 19:56

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