2013年08月25日

物集高量(もずめたかかず)1879-1985 106歳

「人間臨終図巻(3)」(198)

山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada

2001.05.15 初版(徳間文庫)

<物集高量(もずめたかかず)1879-1985 106歳>
明治19年から30年の歳月を費やして、日本史及び
古典の研究に必要な文献を集大成した「群書索引」
「広文庫」が有名。

彼の生活は貧窮を極め、債鬼から万巻の書はおろか
病臥しているフトンまで差し押さえを受け、ついに
は失明する悲惨な生涯を送った。

彼は72歳で生活保護を受け、ただ書物にうずもれる
生活を続けた。

100歳を越えてから、その長寿ぶりに世間が興味を
示した。長寿の秘訣について、数々のインタビュー
に答えている。

「正直に生きないこと」
「恋ってのが一番いいんです。」
「夏の夕方、街を若い女性が薄着でぶるんぶるんと
お尻をふって歩く。それをトウモロコシを噛りながら
眺めているのが長生きのもとです」

106歳で板橋の借家で転んで軽いけがをしてから入院
して、7ヶ月後、心不全で死去した。

補記-----------------------------------------------
「明治19年から・・」は恐らく、風太郎の誤りだろうと思う。
明治19年といえば、西暦1886年で物集が7歳の時である。
そこで「ウィキペディア」をみると、物集という男の
波瀾万丈の生涯に唖然としてしまった。
「ウィキペディア」からいくらか拾ってみる。

父は東京帝国大学講師。
父の教育方針で4歳9ヶ月にして本郷小学校に入れられるが、
第1学年で落第を経験。
第一高等学校受験に失敗し、神経衰弱となる。
1年間の浪人時代に小説を書き、雑誌に掲載される。
第三高等学校時代、長篇小説を「富士新聞」に連載。
東京帝国大学時代、役者になることを企てるが、同級生
小山内薫から忠告を受けて、断念。
同校2年生のSと恋に落ち、Sと共に大宮で心中を企てるが、
友人吉野作造に止められて未遂に終る。
毎日新聞社を望んで父の知人の大隈重信に面会し、田中穂積
に口を利いてもらったが不採用に終る。
27歳で朝日新聞の懸賞小説に第一席当選して賞金500円
(2006年現在の1000万円以上)を獲得。しかしこの賞金は父に
全額持って行かれた。
この懸賞入選が縁となって、1907年、大阪朝日新聞社に入り、
夏目漱石「虞美人草」の連載などを担当。
30歳、スリの親分”湯島の吉”に弟子入りを志願したが、脚が
悪いので断られた。このころ、博打や女遊びや稚児遊びに興じ、
久松の賭場を潰す。
36歳、父が病気で倒れたため、父の「広文庫」「群書索引」
編纂事業に協力。
60歳、多額の借金により差し押さえ処分を受ける。
71歳、多摩川沿岸で脱衣休憩所を営んだが商売に失敗。
72歳、生活保護を受ける。
74歳、「内外タイムス」文芸欄に矢崎まゆみという筆名で投稿、
しばしば入選する。
75歳、「実話読物」誌に連載を持つが、質屋の利子の支払いに
追われて苦しい生活を送る。
95歳、「広文庫」「群書索引」を復刊、これによりやや経済的
に潤う。このため、97歳の時、生活保護の打ち切りが決定。
100歳、天文学に興味を示し、時間の起源を研究したいとも述べた。
106歳、老衰で死去する前日、若い看護婦のスカートに手を入れて
婦長から叱責された。
106歳で逝去した時は、東京都内の男性で最も長命だったことか
ら、当時の東京都知事鈴木俊一が弔辞を読んだ。

panse280
posted at 19:03

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