2013年08月23日
諸橋轍次1883-1982 99歳
「人間臨終図巻(3)」(196)
山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada
2001.05.15 初版(徳間文庫)
<諸橋轍次1883-1982 99歳>
「大漢和辞典13巻」を作った男である。
41歳の時に「「大漢和辞典」の編纂に取り掛かった
が肺炎、肋膜炎、百日咳などで何度も数ヶ月病床に
ついた。
そのため、少し体調が悪いとすぐに寝る習慣がつき、
無理しないことを金科玉条とするようになった。
それが彼の長寿の一因となったにちがいない。
眼は20歳以前から近眼で、それに乱視が加わり、
50歳から白内障にかかり、57歳で失明同様になって
しまった。
62歳(昭和20年)の時、戦災で組版が消失したり、
4人の助手が過労のため、次々にこの世を去った。
77歳でついに「大漢和辞典13巻」を刊行した。
99歳の誕生日を迎えて、「医者は、内蔵はまだ30代
といった。」と豪語したが半年後亡くなった。
山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada
2001.05.15 初版(徳間文庫)
<諸橋轍次1883-1982 99歳>
「大漢和辞典13巻」を作った男である。
41歳の時に「「大漢和辞典」の編纂に取り掛かった
が肺炎、肋膜炎、百日咳などで何度も数ヶ月病床に
ついた。
そのため、少し体調が悪いとすぐに寝る習慣がつき、
無理しないことを金科玉条とするようになった。
それが彼の長寿の一因となったにちがいない。
眼は20歳以前から近眼で、それに乱視が加わり、
50歳から白内障にかかり、57歳で失明同様になって
しまった。
62歳(昭和20年)の時、戦災で組版が消失したり、
4人の助手が過労のため、次々にこの世を去った。
77歳でついに「大漢和辞典13巻」を刊行した。
99歳の誕生日を迎えて、「医者は、内蔵はまだ30代
といった。」と豪語したが半年後亡くなった。