2013年07月10日
永井荷風1879-1959 80歳
「人間臨終図巻(3)」(153)
山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada
2001.05.15 初版(徳間文庫)
<永井荷風1879-1959 80歳>
1957年,荷風死の2年前である。
荷風は千葉の市川市に40坪の敷地に12坪の
家を新築し、そこに一人で住んだ。
食事は浅草のアリゾナか京成八幡駅裏の
大黒屋という大衆食堂でとるのを常とした。
1959年、荷風死の年である。
3月、アリゾナで昼食を食べて、歩いていて
転び膝を打ち、以来彼はほとんど臥床して
暮らした。
4月29日、「断腸亭日乗」の最後の文字。
その日、彼は昼前大黒屋にゆき、酒一本飲み、
天丼を食べて帰った。
翌朝、お手伝いさんが、襖を開けると、荷風は
死んでいた。
彼が死んだ6畳の居間は、掃除婦も入ることを
禁じられていたので、クモの巣だらけで、安物
の手あぶり火鉢、炭籠、ボストンバッグ、ホコリ
まみれの書物が散乱していた。
安普請の家には、衣類家財道具は一切皆無で
あった。遺産(ボストンバッグに全財産を入れて
いた)は当時の金で、二千三百数十万円だった。
(この年の大卒公務員初任給は約1万円)
山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada
2001.05.15 初版(徳間文庫)
<永井荷風1879-1959 80歳>
1957年,荷風死の2年前である。
荷風は千葉の市川市に40坪の敷地に12坪の
家を新築し、そこに一人で住んだ。
食事は浅草のアリゾナか京成八幡駅裏の
大黒屋という大衆食堂でとるのを常とした。
1959年、荷風死の年である。
3月、アリゾナで昼食を食べて、歩いていて
転び膝を打ち、以来彼はほとんど臥床して
暮らした。
4月29日、「断腸亭日乗」の最後の文字。
その日、彼は昼前大黒屋にゆき、酒一本飲み、
天丼を食べて帰った。
翌朝、お手伝いさんが、襖を開けると、荷風は
死んでいた。
彼が死んだ6畳の居間は、掃除婦も入ることを
禁じられていたので、クモの巣だらけで、安物
の手あぶり火鉢、炭籠、ボストンバッグ、ホコリ
まみれの書物が散乱していた。
安普請の家には、衣類家財道具は一切皆無で
あった。遺産(ボストンバッグに全財産を入れて
いた)は当時の金で、二千三百数十万円だった。
(この年の大卒公務員初任給は約1万円)