2013年06月16日
高村光太郎1883-1956 73歳
「人間臨終図巻(3)」(129)
山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada
2001.05.15 初版(徳間文庫)
<高村光太郎1883-1956 73歳>
昭和27年、十和田湖畔の記念碑彫像制作の
ため、8年ぶりに東京に戻った。69歳である。
昭和31年には光太郎の衰弱はいちじるしく
なった。その頃、82歳で死んだ父光雲について、
「父は内的なものを持たない人だった。だから
父は空虚な生き方しか出来なかった」と言った。
光雲の作った二重橋の楠公像は五月人形で、
上野公園の西郷像は置物だと言っていた。
しかし、楠公像と西郷像は民衆の敬愛の眼に
つつまれていまも厳然と立ち、光太郎の精魂こ
めた十和田湖の乙女の像は、不評なのである。
4月2日、季節はずれの雪の降る朝はやく、光太郎
は息を引き取った。
山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada
2001.05.15 初版(徳間文庫)
<高村光太郎1883-1956 73歳>
昭和27年、十和田湖畔の記念碑彫像制作の
ため、8年ぶりに東京に戻った。69歳である。
昭和31年には光太郎の衰弱はいちじるしく
なった。その頃、82歳で死んだ父光雲について、
「父は内的なものを持たない人だった。だから
父は空虚な生き方しか出来なかった」と言った。
光雲の作った二重橋の楠公像は五月人形で、
上野公園の西郷像は置物だと言っていた。
しかし、楠公像と西郷像は民衆の敬愛の眼に
つつまれていまも厳然と立ち、光太郎の精魂こ
めた十和田湖の乙女の像は、不評なのである。
4月2日、季節はずれの雪の降る朝はやく、光太郎
は息を引き取った。