2013年04月29日
豊臣秀吉1536-1598 62歳
「人間臨終図巻(2)」(83)
山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada
2001.03.15 初版(徳間文庫)
<豊臣秀吉1536-1598 62歳>
1595年(59歳)頃から秀吉は咳気をわすらい、
神経痛の気味もあり、小便の垂れながしを
やることがあった。
食欲を失い、全身の肉も落ちてきた。死後の
不安から、諸侯を集め、起請文を書かせたが、
それでも心配で大阪城を外郭拡張工事を行った。
そのために、周辺の商家は、17000戸が立ち退き
を命ぜられた。
バテレンのロドリゲは秀吉を見舞って曰く、
「その(秀吉)衰弱枯痩の姿は、ほとんど人間
ではなかった。・・・」
8月18日午前2時秀吉は死んだ。
辞世「露と落ち露と消えぬるわが身かな浪速の
ことは夢のまた夢」
「これはおそらく他人の代作であろう。秀吉には
これだけの歌はつくれそうにない。またこんな
歌を作れる心理状態ではなかった。彼は生きながら
地獄に堕ちていたのだ。」
山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada
2001.03.15 初版(徳間文庫)
<豊臣秀吉1536-1598 62歳>
1595年(59歳)頃から秀吉は咳気をわすらい、
神経痛の気味もあり、小便の垂れながしを
やることがあった。
食欲を失い、全身の肉も落ちてきた。死後の
不安から、諸侯を集め、起請文を書かせたが、
それでも心配で大阪城を外郭拡張工事を行った。
そのために、周辺の商家は、17000戸が立ち退き
を命ぜられた。
バテレンのロドリゲは秀吉を見舞って曰く、
「その(秀吉)衰弱枯痩の姿は、ほとんど人間
ではなかった。・・・」
8月18日午前2時秀吉は死んだ。
辞世「露と落ち露と消えぬるわが身かな浪速の
ことは夢のまた夢」
「これはおそらく他人の代作であろう。秀吉には
これだけの歌はつくれそうにない。またこんな
歌を作れる心理状態ではなかった。彼は生きながら
地獄に堕ちていたのだ。」