2013年03月30日
中江兆民1847-1901 54歳
「人間臨終図巻(1)」(54)
山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada
2001.03.15 初版(徳間文庫)
<中江兆民1847-1901 54歳>
医者から「あと一年半」と告げられてから書いた
「一年有半」は大ベストセラーになった。
幸徳秋水の記録に、
「「続一年有半」刻なるの後、先生苦痛ますます
はげし、・・我今や一の欲望もなし、一の執着なし、
ただ死のすみやかならんことを欲するのみと。・・」
葬式は、彼の遺言により、一切宗教的儀式を排する
ために、「告別式」という形で行われた。これが
日本における「告別式」の始まりである。
しかるに、今では「告別式」を行い、しかも「葬式」
まで行って、兆民の考えた「告別式」を別の形態の
ものにしてしまった。
兆民は墓さえ作らせなかった。
「霊魂なるものは火なり。肉体は薪なり。薪尽きて
火滅す。かくのごときのみ」(兆民)
山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada
2001.03.15 初版(徳間文庫)
<中江兆民1847-1901 54歳>
医者から「あと一年半」と告げられてから書いた
「一年有半」は大ベストセラーになった。
幸徳秋水の記録に、
「「続一年有半」刻なるの後、先生苦痛ますます
はげし、・・我今や一の欲望もなし、一の執着なし、
ただ死のすみやかならんことを欲するのみと。・・」
葬式は、彼の遺言により、一切宗教的儀式を排する
ために、「告別式」という形で行われた。これが
日本における「告別式」の始まりである。
しかるに、今では「告別式」を行い、しかも「葬式」
まで行って、兆民の考えた「告別式」を別の形態の
ものにしてしまった。
兆民は墓さえ作らせなかった。
「霊魂なるものは火なり。肉体は薪なり。薪尽きて
火滅す。かくのごときのみ」(兆民)