2013年02月25日

尾崎放哉おざきほうさい1885-1926 41歳

「人間臨終図巻(機法廖21)

山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada

2001.03.15 初版(徳間文庫)

<尾崎放哉おざきほうさい1885-1926 41歳>
一高で漱石の講義を聴き、東大法学部を出て、
今の朝日生命に就職、10年後退社して、朝鮮
火災海上保険会社の支配人になったが1年で
クビになり、38歳で妻と満州を放浪した。

帰国して妻と別れ、京都、須磨、小浜の寺男
となっては追い出され、小豆島の西光寺奥の院
の堂主となり、7ヶ月半後、ひっそりと死んだ。

放哉(尾崎秀雄)は、ほとんどもらいものの
焼米と焼豆だけで暮らした。結核はすすみ、
栄養不足で身長1m60cmで体重は37.5kgに満た
なかった。

3月15日「スキ焼デ一杯ヤッテ死ニタシ」と
書いた。
4月7日、近くの家の老婆シゲに看取られて
死んだ。

別れた妻は、紡績工場の女工の寮母となり、
放哉の死後3年10ヶ月後チフスで死んだ。

「孤独の極限ともいうべき生き方は、意外に
多くの人々のあこがれるところとなり、彼の
死んだ小豆島の西光寺には彼を記念する立札と
句碑が建てられた。」

panse280
posted at 20:08

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字