2013年02月22日

幸徳秋水1871-1911 40歳

「人間臨終図巻(機法廖18)

山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada

2001.03.15 初版(徳間文庫)

<国定忠治1810-1850 40歳>
関所破りのお尋ね者で、中風をわずらっていた
忠治は、8月14日に捕まり小伝場町の大牢に送ら
れ、12月21日、吹きさらしの寒風の中で磔に
なった。14回目の槍で絶命した。

<江藤新平1834-1874 40歳>
佐賀の乱に敗れ、西郷に救いを求めたが拒否され
高知に戻ったが敬遠され、行き場をうしなった
江藤は惨苦を極めた。3月29日、甲の浦で捕まり
佐賀に護送された。さらし首の判決を言い渡した
裁判長、河野敏鎌はかって江藤の部下であった。

<幸徳秋水1871-1911 40歳>
大逆事件の指導者とされた秋水は「一味」23人と
ともに死刑を宣告され1月24日、死んだ。
翌、25日、徳富蘆花はこれを知らず、秋水の
助命嘆願状を朝日新聞に発送したが、その後、
新聞で昨日、秋水の刑が実行されたことを知った。

「幸徳らを絞首台に送った山県有朋ら権力者たち
は、幸徳らを狂人、蘆花を半狂人と確信していた
であろう。しかし後になって見れば、その連中こそ
実は一種の狂人たちであったのだ。」

panse280
posted at 20:16

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