2013年01月01日

2013年元旦 謹賀新年

2013年元旦 平成25年 癸・巳(みずのと・み)

日本は今年、正念場を迎える。
日本は独立国家となりうるのか?
三島由紀夫の死の意味を改めて考えてみる。

<日本国憲法第9条>
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を
  誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力によ
  る威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手
  段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力
  は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認
  めない。
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憲法9条を日本は何故受け入れたのか。
それは、当時の民政局局長のコートニー・ホイットニーが、
吉田茂に、もし受け入れなければ「天皇の御身柄を保障
することはできない」と脅したからである。
吉田茂は、天皇陛下のお命を守るために、やむなくこれ
を受け入れた。この事だけは知っておくべきだ。

<戦争と平和>
--ドストエフスキーが平和の本質を語る------------
「血は恐らく戦争がなくても非常に多く流されるものだ。
或る場合には、総ての場合とはいわぬ。例えば内乱
などは例外だが、戦争というものは、最少の流血と、
苦痛と、損害とを以って国民間の平和を獲得し、幾分
でも国民間の健全な関係を定める行動である事を信じ
給(たま)え。
勿論これは悲しい事だ。が、そうだからと言って、では
どうしたらいいか。無期限に苦しむより、いっそ剣を抜いて
了った方がいいのである。文明国民間の現代の平和が
戦争より何処がいいと言うのか。それば許りではない。
人間を獣にし残酷にするのは、戦争ではなく寧ろ平和、
長い平和だ。長い平和は常に残酷と卑怯、飽く事を
知らぬ利己主義を生む。就中、知識の停滞をもたらす
事はなはだしい。長い平和が肥やすものは投機師だけ
である。」
(「ドストエフスキーの生活」小林秀雄:出典は)
1877年4月「作家の日記」ドストエフスキー)

確かに、日本の「長い平和は残酷と卑怯、飽く事を
知らぬ利己主義を生」んでいる。

<三島由紀夫が死をもって訴えた事>
---以下は自決時の檄文の全文である。
---長いので、読む必要はない。
---要旨は、自衛隊の名誉回復と日米安保体制からの脱却と自主防衛
---の2点だということである。

「われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば
自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義
に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。

かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官と
しての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われ
われも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない

「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知ら
なかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一
であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野

を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれに
とって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気
を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受

けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出
たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊
を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、
国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、
その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んで

ゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、
偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の
汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史

と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければ
ならなかった。 
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の
武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、

自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である
防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名
を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本

原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべ
き軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。
自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。

自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物
理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の
対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い

日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざ
める時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この
眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、

自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民
として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には
楯の会を結成した。

楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を
国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心
にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、

治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の
前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守る
のは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を

以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体
が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊
の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を

守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正す
という使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようと
していたのである。

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪
米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に
終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」

と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極
め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、
敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しう

る自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持
のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、
国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、

左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実を
とる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。
名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。

しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかな
い筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしが
らせとごまかしがはじまった。

 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、
自衛隊にとっては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法
改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切

られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義
政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴
れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、

それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として
認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。
 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが

夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、
どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、
何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の衿がどうしてこれを

容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえ
れば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら
耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法

を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来な
かった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正
すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われた
カナリヤのように黙ったままだった。

 われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与え
られなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、
悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・
コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。

しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上
のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、
変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。


 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己
冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこ
へ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こう

とするのか。繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維
業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたか
もかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであ
るにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊から
は出なかった。

 沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真
の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明で
ある。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛
隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。

 われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。
自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の
三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。

日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、
魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。

それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と
伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて
死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。

われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇
えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」
(1970年11月25日陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決・檄文より)

panse280
posted at 19:38

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