2012年12月23日

おばあさん子の芸術

「死言状」(15)
山田風太郎 1922-2001
fuutaro yamada

2005.12.1 初版第一刷発行(小学館文庫)

<おばあさん子の芸術>
「おそらくその全作品を読んだのではないかと
思われる作家は、私(山田)の場合、漱石と
百痢覆劼磴辰韻鵝砲世韻里茲Δ糞いする。
・・・
百里凌畔嫺常の随筆の面白さは、パラドックス
の面白さである。
・・・
テーマのみならず、その会話、それどころか地の
文章までほとんど逆説から成り立っているような
作家は、日本では珍しい。
・・・
江戸川乱歩は、推理小説の最高峰にチェスタートン
をあげたが、私も日本でチェスタートン風の推理
小説の書き手があるとするなら、甚だ突飛な説だ
が、唯一の人は百寮萓犬世蹐Δ塙佑┐燭海箸
あった。
・・
さて、それではこれらの心性はどこから来たか。
私は、百里幼少時から徹底的に祖母の溺愛に
よって成長した、いわゆるおばあさん子であった
ことが大影響していると思う。
だだっ子、ワガママ、ツムジまがり、甘えん坊、
そんなおばあさん子によくある特性が、本来の
強情のために途中で矯正されないで、そのまま
ニューッと大人になった。」

補記:女優高峰秀子は最も愛読する作家として百
の名を挙げている。

「もし現代、文章というものが生きているとしたら、
ほんの数人の作家にそれを見るだけだが、随一の
文章家ということになれば、内田百了瓩魑鵑欧覆
ればならない。
・・・
しかしこれだけの洗練された皮肉、これだけの押し隠した
芸、これだけの強い微妙さが、現代の読者にどれだけ理解
されるであろうか。何でもよい。百里量症覆魄貶咾箸
だして、「芸術品とはこういうものだ」と若い人に示したい
気持に私は襲われる。」(三島由紀夫)

panse280
posted at 23:41

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