2012年05月25日

セックスの自由の恐ろしさ

「文化防衛論」(9)

三島由紀夫  1925-1970
yukio mishima
2006.11.10 第1刷発行(ちくま文庫)

<セックスの自由の恐ろしさ>
「言論の自由で一番わかりやすい例はエロティック
な問題でありまして、・・・
フランス革命が自由平等ということをいくら唱えま
しても、(マルキ・ド・)サドは人間理性というも
のの裏の、側面をよく知っていた。であるから、人
間性を完全に解放したらどういう社会ができるか、
もちろん現社会体制は破壊される。その破壊される
彼方に何があるかということをサドは予見していた
ように思うのであります。一例は、もしセックスの
完全な自由ということが許されるとすれば、強姦、
輪姦くらいで済むならいいが、快楽殺人というものが
あって、どうしても人を殺してしまわなければ満足し
ない人だっているに違いない。そういう人もセックス
の権利を自由に許したならば、快楽殺人が横行する
ことになって、殺人も許される。一つの社会が殺人
を許し、何を許すということになれば、どんな政治
体制でも崩壊してしまう。そうしますと、人間はこ
わくてしょうがない。自分がこわくなるという時点
が必ず来るわけです。どこか自分がこわいというも
のが自由の極致には必ずあるはずだ。それは何か、
ということから、私は政治の問題に入って行きたい
といつも思うわけです。」

(昭和43年10月3日「早稲田大学大隈講堂」)

panse280
posted at 20:15

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