2012年05月23日

暗殺を肯定する、ということ

「文化防衛論」(7)

三島由紀夫  1925-1970
yukio mishima
2006.11.10 第1刷発行(ちくま文庫)

<暗殺を肯定する、ということ>
学生「(三島)先生のおっしゃる純粋暗殺、つまり
一対一の人間の対決であって、暗殺者が死を覚悟して
いる、そういう点から(暗殺を)肯定されているという
要素が非常に大きいと思いますけれども、それは結局
暗殺というものが美的であるかどうか、・・いつも先生
は美的であるかどうかということで判断されているの
ではないのですか。
・・・
暗殺自体が美的であるかどうかなんてことは、本質的に
重要なことじゃない。だから、ぼくにいわせれば、まず
人間を抹殺するということが絶対に許されることじゃない
と思います。・・・」

三島「・・その考えの根底は、戦後のいわゆる人間主義
の教育から来ていると私には思われる。・・・つまり
人を殺すことはいけないのだというふうにいっちゃう。
じゃ一つ問題を提起すると、死刑廃止のできている国が
あるか。
・・・
暗殺の中にも、クオリティの高い暗殺もあれば、低い
暗殺もある。人が殺されたからといって泣いているのは
子供と同じことで、そこには理屈も何もない。それで
殺すことがいけないという思想だったら、・・クェーカー
教徒になるか、粛清を肯定するか、どっちかしかない。
・・・私はそういうことを云っている。あなた方どういう
教育を受けてきたか知らないが、民主主義なんて甘いもの
じゃない。・・・人間は汚れている。汚れている中で
相対的にいいものをやろうというのが民主主義なんだ。
この点をわかってほしいのです。」
(「国家革新の原理」於:一橋大学、昭和43年6月16日)

panse280
posted at 20:29

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