2012年05月20日

言論の自由

「文化防衛論」(4)

三島由紀夫  1925-1970
yukio mishima
2006.11.10 第1刷発行(ちくま文庫)

<言論の自由>
「言論の自由が、最終的に文化上の「質」乃至「価値」
を保証しないことは言うまでもない。何故ならば、言論
の自由は本質的に「質」乃至「価値」を問題にしない
ところの人間性の無差別な解放であり、従って対象の
質や価値を問題にしないところの、破壊衝動をまで
解放するものであるから、芸術文化上の「質」を保証
するものは、半ば自由の側にありながら、半ばは秩序の
側にあると言わなければならない。それは芸術の最も
難しい問題で、大半の良き芸術は、反動期に生まれて
いる。
・・・
秩序によって飼い馴らされた言論の自由をしか見ない
人間が、アメリカのスクウェアーであり、イギリスの
エスタブリッシュメントであった。もし、このような
言論の自由に満足していない人間があれば、それは
自ら「人間性」によって破壊されることをものともし
ない人間でなければならない。それが学生たちなので
ある。
われわれは、女子供と学生の時代に生きている。何故
なら、それは経済的被保護者であると同時に、正に
それによって、人間性の真の危険というものに直面
することから免れているからである。
・・・
「甘い政府」を期待する時には、その政府から一切
われわれに対する保護を期待してはならない。それ
は最も弱体な政体であり、われわれに保護を与えない
体制こそは、われわれにとって最も無害な政治体制
なのである。
・・・
西欧的な意味の市民とは、要するに、言論の自由の
危険を腹の底まで知りながら、ということは、同時
に、解放された人間性の危険を腹の底まで知りなが
ら、それによって責任ある体制に、秩序による人間
の保護を求めるところの人たちであると規定するこ
とができよう。われわれは、そのような市民を未だ
日本では、僅かしか持っていないと言ってよい。」

panse280
posted at 15:58

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