2012年04月13日

冬の日の武家屋敷の玄関の式台のような文体

「太陽と鉄」(6)

三島由紀夫  1925-1970
yukio mishima
2011.1.30 第7刷発行(中公文庫)

<冬の日の武家屋敷の玄関の式台のような文体>
「すでに私(三島)は私の文体を私の筋肉にふさわしい
ものにしていたが、それによって文体は撓(しな)やか
に自在になり、脂肪に類する装飾は剥ぎ取られ、筋肉的
な装飾、すなわち現代文明の裡では無用であっても、威信
と美観のためには依然として必要な、そういう装飾は丹念
に維持されていた。私は単に機能的な文体というものを、
単に感覚的な文体と同様に愛さなかった。
しかしそれは孤島であった。私の肉体が孤立しているのと
等しく、私の文体も孤絶の堺にあった。受容する文体では
なく、ひたすら拒否する文体。私は何よりも格式を重んじ、
(私自身の文体が必ずしもそうだというのではないが)、
冬の日の武家屋敷の玄関の式台のような文体を好んだので
ある。
もちろんそれは日に日に時代の好尚から背いて行った。
私の文体は対句に富み、古風な堂々たる重味を備え、
気品にも欠けていなかったが、どこまで行っても式典風な
荘重な歩行を保ち、他人の寝室をもその同じ歩調で通り
抜けた。私の文体はつねに軍人のように胸を張っていた。
そして、背をかがめたり、身を斜めにしたり、膝を曲げたり、
甚だしいのは腰を振ったりしている他人の文体を軽蔑した。
姿勢を崩さなければ見えない真実がこの世にはあることを、
私とて知らぬではない。しかしそれは他人に委せておけば
すむことだった。
・・・
私は真実のうちから一定の真実だけを採用することにし、
網羅的な真実を志向することがなかった。敢て、弱々しい
醜い真実は見捨て、想像力の惑溺が人に及ぼす病的な影響
に対しては、精神の一種の外交辞令を以て相渉るように心
がけた。」

panse280
posted at 20:11

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