2012年03月29日

羞恥心について

「若きサムライのために」(3)

三島由紀夫  1925-1970
yukio mishima
2000.12.05 第8刷発行(文春文庫)

<情熱と快楽>
「若者の性は最高の表現をとるときに情熱になり、
おとなの性は最高の表現をとるときに快楽になる
ということができよう。
・・・
快楽には金がかかり、これは若者には不可能である。
情熱には一文の金もかからないが、命をかける覚悟
がなくてはならない。」

<羞恥心について>
「私(三島)の見るところでは、世間で羞恥心の
最も発達した男は、イギリス人と日本人が双璧で
あると思う。
・・・
(初孫の誕生を父に電話したが、父は不機嫌だった)
父は明治生まれの男らしい、実に古風な羞恥心を
持っていた。自分の家の出産に息子が病院へ行くの
さえ、恥ずかしいことであった。病院からあたふたした
声で電話をかけてくるのは、もっと恥ずかしいことで
あった。妻のお産のときには、日本の男はおなかの中
で心配しながら、友だちと外で飲んで歩くか、あるいは
そしらぬ顔をしているべきであった。それは女に対する
軽蔑とは違って、むしろ純女性的領域に対するおそれと、
おののきと、遠慮と、反抗から生れた男のテレかくし
の態度であったと思われる。明治の男は、女と肩を並べて
歩くのをいさぎよしとしなかった。世間からでれでれして
いると思われないために、女と必ず離れて歩き、結婚して
も、妻と並んで歩くのを恥かしがる男性はいくらもいた。」

panse280
posted at 19:42

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字