2012年03月23日

私(三島)の忘れがたい一句

「行動学入門」(7)

三島由紀夫  1925-1970
yukio mishima
1995.1.20 第22刷発行(文春文庫)

--革命哲学としての陽明学--

<私(三島)の忘れがたい一句>
「吉田松陰が獄中から品川弥二郎に送った書簡の中に、
・・・私(三島)の忘れがたい一句は、「天地の悠久に
比せば松柏も一時蠅なり」というものだ。この一句は
次のような一文から出ている。

死生の悟が開けぬと云ふは、余り至愚故、詳に云はん、
十七八の死が惜しければ、三十の死も惜しし、八九十百に
なりても、是れで足りたと云ふことなし、草虫水虫の如く
半年の命のものあり、是れを以て短しとせず、松柏の如く
数百年の命のものあり、是れを以て長しとせず、天地の
悠久に比せば、松柏も一時蠅なり、只伯夷などの如き人
は周(もと)より漢唐宋明を経、清に至りて未だ滅せず、
若し当時太公望の恩に感じて西山に餓死せずば、百迄死
せずとも短命と云ふべし、何年限り生きたれば、気が済
むことか、前(さき)の目あてもあることか、浦島武内
も今は死人なり、人間僅か五十年、人生七十古来稀、何
か腹のいえる様な事を遣りて死なねば、成仏は出来ぬぞ、
云云、(維新史料第八編)」

「死を前にして行動家が得たこのようなものの見方は
同時に、空間的には太虚に入ることによって、自分の
小さな空虚をも太虚に帰することができる、という
帰太虚の説を思い出させるのである。」

<帰太虚>
「陽明学のいくつかの特色のうち、大塩(平八郎)が
もっとも強調したのは、「帰太虚」である。
・・・
心が太虚に帰するときに、初めて真の「不動」を語る
ことができるのである。すなわち、太虚は永遠不滅で
あり不動である。心がすでに太虚に帰するときは、
いかなる行動も善悪を超越して真の良知に達し、天の
正義と一致するのである。」

panse280
posted at 21:13

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