2012年03月22日

大塩平八郎と西郷隆盛

「行動学入門」(6)

三島由紀夫  1925-1970
yukio mishima
1995.1.20 第22刷発行(文春文庫)

--革命哲学としての陽明学--

<大塩平八郎と西郷隆盛>
「西郷隆盛の言葉のうちでもっとも大塩平八郎と深い因縁を
結んでいるように思われるのは、次の箇所である。

聖賢に成らんと欲する志なく、古人の事跡を見、とても及ばぬ
といふ様なる心ならば、戦に臨みて逃るよりなほ卑怯なり。
朱子も白刃を見て逃る者はどうもならぬといはれたり。誠意を
もって聖賢の書を読み、その処分せられたる心を身に体し心に
験する修行いたさず、ただかようの言かようの事というのみを
知りたるとも、何の詮無きものなり、予今日人の論を聞くに、
成る程もっともに論するとも、処分に心行き渡らず、ただ口舌
の上のみならば、少しも感ずる心これ無し。真にその処分有る
人を見れば、実に感じ入るなり。聖賢の書を空しく読むのみなら
ば、譬へば人の剣術を傍観するも同じにて、少しも自分に得心
出来ず。自分に得心出来ずば、万一立ち合へと申されし時
逃るより外あるまじきなり。(西郷南州遺訓-36)」

「聖人とわれわれとは同格でなければならない。甚だ傲慢な
哲学であるが、それはあたかも「葉隠」の、「われは日本一
なりとの増上慢なくてはお役に立ち難し」というような
自我哲学の絶頂と照応している。
・・・
ひたすら聖人に及ばざることのみを考えているところからは、
決して行動のエネルギーは湧いてはこない。」

panse280
posted at 19:49

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