2012年03月12日

肉体的教養

「不道徳教育講座」(22)

三島由紀夫  1925-1970
yukio mishima
2010.5.15 改版25版発行(角川文庫)

<肉体的教養>
「精神的教養というものが、すべての男に必要で
ある程度に、肉体的教養は必要であって、健康な、
キリリと締った肉体を持つことは、社会的礼儀だ
と考えている。世間は、精神的無教養をきわめた
若者たちの暴力ばかりを心配しているが、支配層
のインテリの肉体的無教養もずいぶんひどいもの
であります。・・・今の世の中では、体だけでは
一文にもならない。金になるのは何らかの形の
知能です。・・・そうかといって、金にもなるし
モチのいい知能だけを後生大事にしている男は、
私(三島)には何だか卑しくみえる。・・・
私はキリスト教の坊主というものが、そのために、
卑しく醜くみえて仕方がない。肉体を完全に包んだ
ゾロリとしたあの黒い法衣は、男の着るものではなく、
精神的宦官の着るものです。
・・・
ギリシャ人は実に偉かった。・・・
ギリシャのギュムナスティケーは、今の体育理念と
はちがって、美を成就するための一種の宗教的行法
であったといわれています。
・・・
どんな些細な贅肉をつけてもいけないというのが
ピュタゴラスの戒律の一つであった。身体の欠陥
は細心に避けられた。
・・・
芸術家や学者の世界では、哀れな肉体がたいてい
王座に坐っているので、お弟子たちはその真似を
して、みんな半病人のような黄いろいしなびた顔
で、原書にしがみついています。
・・・
現代社会では、筋肉というものは哀れな、道化た
ものにすぎない。だからこそ、私は筋肉に精を
出しているのであります。」

panse280
posted at 20:56

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字