2012年03月05日

桃色の定義

「不道徳教育講座」(15)

三島由紀夫  1925-1970
yukio mishima
2010.5.15 改版25版発行(角川文庫)

<桃色の定義>
「ワイセツについて、私(三島)が今まで読んだ
ものの中で、もっとも明快正確な定義を下している
のは、ジャン・P・サルトル先生である。私はこれ
以上みごとなワイセツの定義を知りません。
サルトルはその大著「存在と無」の中で、ワイセツ
について語っている部分は、彼の全哲学大系とかか
わりがあるので、砕いて説明するのがむずかしいが、
サルトルはまず、「品のよさ」と「品のないもの」
の二つを分け、ワイセツを後者に分類する。
・・・
「品のよさにおいては、身体は自由をあらわす用具
である」(スポーツ選手など)
・・・
サルトルは、もっともワイセツな肉体の代表を、
サディストが縄で縛って眺めている相手の肉体、つま
り自由を奪われた肉体に見ています。
「品のないもの」は、品のよさの要素の一つがその
実現をさまたげられるときに、あらわれる。
・・・
運動が機械的になったり、ヘマをやったり
・・・
舞台に転倒したバレリーナのむきだしになったお尻
に、突然ワイセツがあらわれるのです。
歩いている人がお尻を無意識に左右にふると、両足
はなるほど行為しているけれど、お尻は一コの事物
のように両脚によってはこばれているから、この
お尻は、歩行に従事している身体から、「余計なもの」
として孤立し、従ってワイセツになる、というのが
サルトルの説明です。
サルトルの説明で特に興味があるのは、ワイセツとは、
たとえばこのようにして、一コのお尻が、性的欲望を
おこしていない何びとに対して、”その人の欲望を
そそることなしに”、あらわになるとき、それが特に
ワイセツであると言っていることです。
この点が世間の道徳家のワイセツの考えとちがうところ
であって、サルトルは、ワイセツなものを、一つの本当
の熱烈な性的感動を起させない、或る衰弱したもの、
無気力なもの、と見ているのです。」

panse280
posted at 19:52

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