2012年01月05日

第40代・天武(てんむ)天皇(631-686)

「古事記・日本書紀のすべてがわかる本」(20)
多田元 監修
gen tada
2011.2.7 初版発行(ナツメ社)

--日本書紀・第29-30巻--
<第40代・天武(てんむ)天皇(631-686)>
--「古事記」「日本書紀」の発起人--

中央集権国家の礎を築いた名君であるが即位
に至る道のりは平坦ではなかった。

大海人皇子(天武天皇)は、息子の大友皇子を
皇位に就けたい兄・天智天皇に命を狙われると、
吉野へ脱出。
兄が死去すると、大友皇子との皇位争いは、
天皇家最大の内乱(両軍あわせて6万人)といわ
れる壬申の乱(673年)へと発展し、大海人皇子
が勝利して即位した。

天武天皇は日本で最初の律令となる飛鳥浄御原
令を開始。また、「古事記」「日本書紀」の
編纂に着手、さらに「大王」という呼称を「天皇」
に、「倭(大和)」という国名を「日本」に変更
した。

さらに、天武天皇は伊勢神宮の祭祀を重視し、広
瀬祭・竜田祭を国家事業として行った。

<第41代・持統(じとう)天皇>
天武天皇が没するとその后が持統天皇として即位
した。ここで「日本書紀」は終了する。
持統天皇は、日本で最初の本格的な中国風都城、
藤原京(高さ5mの塀で囲まれた約1Km四方の都)を
つくった。持統天皇が崩御すると、天皇として初
めて火葬された。
それまでは、土葬や風葬が一般的だったが、
持統天皇が熱心な仏教徒だったため、火葬にされ
た。それ以降、火葬が普及していった。


panse280
posted at 20:41

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